速いよりも質の高い理解
2020-04-28
新しい情報を得る速く見えるだけで浅い理解と
じっくりでも質の高い理解では
この度のコロナ禍は、単に感染症の怖さのみならず情報が飽和状態の社会の圧迫にも僕らは耐えねばならないように思う。日々のTVニュース報道のあり方、新聞紙上で捉えられた見方、それ以前にWebを介して舞い込む情報、特にSNSでは多様な一般の方々が多様な切り取り方で情報を寄せている。ひとえに「メディア」とはいうものの、意識的に制止しないと氾濫した水のごとく僕らの耳目に浸水を繰り返す。むしろ、何も知らなければどれほどに楽かとも思うが、命を護る情報である以上は無頓着ではいられない。特にWeb情報がスマホからいつでもどこでも取れるようになってから、情報更新の速さに引き摺られているようにも実感する。その「速さ」に僕らは、安心しつつ翻弄されているのではないだろうか。
就寝前に妻と話していて、「頭はよかったか?」「理解は速いか遅いか?」などという話題になった。思い返せば、小学校の低学年の頃などは特に勉強の理解は極めて遅かった。2年生になって担任の先生に「これほど九九を覚えない子は見たことがない」といった趣旨のことを、言われたことを記憶している。いま思えば覚えられない原因として「理解しないものを吸収したくない」という脳の働き方の傾向があったのではないかと思う。現に算数の問題の理解などは甚だ遅く、その傾向は高校の数学段階まで続いた。どうも新たな物事に接した際に、表面上を素通りして「理解した気になる」ことが嫌いなのだと自己診断できる。ゆえに文章の余白に疑問を読み取るので、決して読書も速いわけではない。こんな自らの頭の性質が、妻との会話から新たに浮き彫りになった。日頃から「質の高い理解」を求めている、その姿勢が情報氾濫の時代に功を奏しそうな気がして眠りに就いた。
情報の構造的理解
客観的にどのような傾向の情報かを見極める
生きてきたあらゆる物事への処し方を超えていまここに生きている。
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