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「痛み知らぬは」十年前を今にあらためていく

2020-04-23
「こと過ぎてすべてを分りゐしごとき論評をせり痛み知らぬは」
「十年前に口蹄疫あり十年後にまたあり得むと予言するあり」
(伊藤一彦『待ち時間』より)

10年前の4月20日、宮崎では牛三頭に口蹄疫感染の疑いありと発表された。先週あたりから地元放送局のニュースなどでは、当時のドキュメンタリーや報道で振り返る内容が放送され、あらためて感染症への意識を喚起させられている。その想像も絶するほどの数の牛や豚たちの魂は、今や宮崎の自然となって新型コロナ感染拡大の人間たちの狼狽ぶりを見つめているであろう。宮崎の風に彼らの声を聞き、宮崎の水に彼らの涙が含まれ、大学内にもある家畜鎮魂碑に頭を垂れる日々である。現在の要請による集会や人の交流の自粛は、宮崎の人々にとって10年前を彷彿させあらたな行動に変えていく機会でもある。一頭の牛がその尻にワクチン接種を受ける重き痛みを思い、宮崎でこそ「感染拡大」に意識を高くして防止していかねば、彼らの魂に報いることはできない。

伊藤一彦先生の当時の歌を収載する第十二歌集『待ち時間』を紐解いた。冒頭に載せた二首をはじめ、県内口蹄疫の記憶を鮮烈に感じさせる作品が多く読むことができる。冒頭に記載させていただいた歌にある「十年後にまたあり得む」は、まさか人間社会を根本から揺るがす「新型コロナ」だとは当時予測しなかったであろう。いや、伊藤先生ご自身や自然に敏感な歌の読者であれば、自然の一部とされた牛や豚のことを慮り、人間にも及ぶ脅威があると「予言」していたのかもしれない。また当時も、「すべてを分りゐしごとき論評」が横行していたことが知られる。現在もまた、TV番組での政治家やコメンテーターらの横暴な物言いには、情勢を「逆撫で」しているかのような憤りを覚える。自らは「痛み知らぬは」であることを自覚してこそ、社会にもウイルスにも向き合えるはずだ。GWを前に観光を大きな収益とする宮崎では、さらに大きな「痛み」が伴う。あの牛や豚たちへの鎮魂を祈り、「今」をあらためていくしか道はない。

記憶は活かされてこそ生きていく
単に報道ではなく短歌は「こころ」が今に生きていく
県外からの移動自粛を要請する『十年後」の宮崎の春である。


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