見えない敵は己のうちにとは言うが
2020-04-21
刻々と変化する状況への対応諸々の立場を思いやるこころ
何に苦しめられているのだろうか?
帰宅すると自らが思っている以上に、心身が疲れていると実感した。土日には仕事も視野から外して、十分にリラックスしたはずであった。だが月曜一日で、大きなダメージを受けたように思う。もうかれこれ60日間ほどに及ぶであろうか?いつ頃からどのように深刻になったかも定め難いようにジワジワと、新型コロナ感染拡大への対応に苦しめられている。もしもできることならば、あの2月頃に返って2ヶ月先は深刻な事態であることを自分にも社会にも教えてあげたいほどだ。初期の世界のそして我が国の新型コロナ対応は、あまりにも危機感もなく甘い予測のもとにあったことが悔やまれる。一時期においては「4月」ともなれば、感染拡大は抑えられているのではなかったのか?「瀬戸際」や「ぎりぎりのところ」が断続的に提唱され、その結果は「拡大の一途」である。このように振り返るに、今後も「終息」などという願いがそう簡単ではないことを考えさせられる。
地元紙「宮崎日日新聞」の19日(日)付一面に、宮崎の観光における減収の厳しさが記事となっていた。記事中に親友のコメントがあって、大変に悲痛な思いであることがあらためて知らされた。一部の報道にあるように「長期戦」が必至の様相の中で、まさしくジリジリと僕らの大切な生活を新型コロナ禍は胸を締め付けるように襲い掛かってくる。東京でお店を経営する親友たちも、日々を必死に凌いで明日を迎えているようだ。このウイルスには、自らが感染しないことが何よりも大切な防御であるが、自らのこころを侵食されないことが同時に必要な防衛となるようだ。「一寸先は闇」の道を日々歩き続けることは、精神衛生上あまりにもよくない。標題のように「見えない敵は己のうち」とは思いながら、「敵」そのものがわからない。否、もしや「敵」などいないのかもしれない。なぜ2000年代になって感染症の蔓延が多いかについて、人間が地球環境を尋常ではなく侵食してきたからだという研究者の弁を聞いたことがある。我々人間が築いてしまった社会構造・社会生活によって、僕らは侵食されているのか?社会が構造や思考を変革するには、短時間で済むわけはないと考えねばならないのか・・・・・。
日々に向き合うものへ考え方を変えたい
こころの領域が侵食されないためにも
このウイルスの集団免疫には、身体とこころの両面が必要そうである。
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