「人に信じてもらう方法」形より本質へ
2020-04-17
「知らないことは知らないと言う。予測が外れた時は『外れました』と言う。
今起きていることの意味がよくわからない時は『よくわからないんです』と言う。」(内田樹氏のTwitter2020.4.15より)
「そしたら何を言っても信じてもらえます。」内田氏は前述のTweetをこう締め括る。この予測困難な新型コロナ感染拡大の世情で、「信頼」という基本的な人間のあり方が問われているように思う。Web上のスマホで偏向して受け取れる氾濫した情報の信憑性。TV等のメディアが喧伝する話題や出演する「専門家」や「コメンテーター」と称する人々の発言。地方自治体をはじめとして国の政治家の発言等々を並べ立てても「信頼」はどこにあるのか?と疑問ばかりが浮上してしまう。単純にTVのニュースを観ていても、そこに映し出される報道そのものの姿勢を含めて「信頼」に「?」がつくことも少なくない。民放放送局の少ない宮崎に住んでいると、尚更そのように感じてしまう。
学部卒業後に初任で中高一貫校の現職教員になった頃を思い出した。初年度は非常勤講師で主に授業担当のみであったが、どんなに教材研究をして教壇に立っても「間違う」ことがないわけではない。正直なところ、苦し紛れに「知らないことを知っている」かのように質問などに答えてしまったことがないわけではない。その誤魔化しの具体例を、今でも質問した生徒の顔とともに鮮明に記憶している。だが職員室に帰ると自らへの呵責の念に取り憑かれ、あれこれと調べてみることになる。肝心なのはその後で、最初にまた同クラスで授業をする際に「ごめんなさい。前回の・・・という点は間違いで、正しくは○×△でした。」と謝り訂正することが必須である。「先生でも間違う」という生の姿を正直に見せることで、むしろ生徒からの信頼は増して指導も円滑になることを知った。その後何十年と社会を経験して来たが、「自分は常に正しい」という姿勢の輩がいかに多いことか。最悪なのは「正しい」を通すために「巧みに言葉をズラす」連中である。奴らは「ズラせばズラすほど信頼を失う」という単純なことを知らない。そんなことを考えながら、今の世情に向き合っている。
学部の指導教授は「これは読めないな」と正直だった
全てを「知り」、的確な「予測」をし、あらゆる「意味がわかる」わけはない。
世界中で現状の先行きが「わかっている」人はいないのである。
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