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コロナ以後の「ライブ性」

2020-04-16
「家にいよう」
人との接触を極限まで減らすこと
あらゆる局面で非対面に向かう世の中で

「人との接触を8割以上減らす」ゆえに「家にいよう(Stay Home)」が全世界的にキャンペーン化されている。日本では緊急事態宣言が出されている都市部を中心にして、喫緊かつ必須の課題である。それでもなお、在宅勤務ができない業種の方々などで都市部の公共の人出はそれなりにあるのだと聞く。僕自身の宮崎での生活環境は、勤務先まで徒歩10分で雑踏は皆無、出勤しても研究室に籠ってさえいれば人との接触はかなり低減できる。こんな状況のうちに、他の地域の人々と繋がることができるのはやはりスマホを中心としたWeb環境の功績ということができようか。昨日も東京の親戚と電話で話したり、親友とメッセージ交換したりして精神の安定を図っている。

全国でも既に「緊急事態宣言」が出された都市部の大学を中心に、「遠隔授業」に舵をっ切ったところも少なくない。研究者仲間のSNS投稿などで、参考にできる情報に接することも多い。大学によっては学内システムで既に「e-ラーニング」などを活用しているところもあり、舵を切る上での大学の「体力」や「技術力」が問われているようにも思われる。大学授業に限らないが、これまで「対面」で実施していたものが「遠隔」で可能となる世の中が顕然と現れる。芸能も音楽もスポーツも、「生(ライブ)」でなければならない意義は何なのであろうか?仕事も小中高大の教育も含めてWeb上の「遠隔」でいいではないか、という方向性が「コロナ以後」の社会となる可能性がある。既に幼少青年期からのスマホ所有により、子どもたちの感覚が個別化し始めていた世の中に、コロナによる「家にいよう」キャンペーンは拍車をかけることになる。もちろんキャンペーンを否定するものではないが、その上で僕らは「対面」が問題なくできる身体感覚のある世界の価値を一人の人間として重く受け止め、再考し「ライブ性」の価値とは何であるかについて確信を持っておく必要があるように思うのであるが。

「ライブ性」の未来も語ろう
空間をともにして身体性を体感することの意義は?
長い闘いの果てが荒んだ社会にならないための知性として。


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