対話と協働が阻まれるはなぜ
2020-03-18
換気の悪い密閉した空間概ね50人以上の集団として
会話などができる適度な距離
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、公共の場所等で避けるべきことは概ね冒頭に記した3点ということになろうか。このガイドラインに即して、小中学校の卒業式なども参列人数や次第・時間の短縮などの措置が取られて実施されているようだ。休校によりこの時期の大切な授業が未消化のまま、時間だけを先に進めなければならない小中高校の先生方のお気持ちはいかばかりかと思う。僕のゼミの卒業生たちも教育現場にいるものが大半だが、やりきれない気持ちで日々の学校勤務をしているに違いない。児童生徒に限らず、外出自粛などで家にだけ籠っている高齢の方々など、人と話せない苦痛はかなり心身にこたえるのではないだろうか。人間にとって対話と協働は、生きる上で大変に重要な活動である。
大学でもふと4月からの講義に目を向けると、冒頭の3条件が揃う機会が多いことになる。昨今は特に「アクティブ・ラーニング」と称して、教員が一方的に喋る講義は時代遅れで、学習する学生たちが話し合いや作業などの活動をすることで、講義の課題を自ら発見し創造的な解釈・意味づけをし現実に活きた力を身につけるという方式が推奨されている。要は一方的に教員が喋る講義ならば、VTRをネット配信しても実行できるわけだが、会話と活動を施した学び方となると教室に学生たちが集まらないとできない。皮肉にも今回の新型コロナの感染予防においては、こうした対話と協働の学習方法こそが避けるべきものとなってしまっている。元来が孤独な人間が生きる意味は、多くの人々と対話・協働することだろう。まさにこのウイルスは、人類の根本的なあり方へ警鐘を鳴らしているのかもしれない。
全世界的な危機にも自国の利己的な発言もあり
国境などを超えた対話と協働が必要だったはずなのだが
人類として僕たちは生き方を見直す時なのかもしれない。
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