虚になれない休日
2020-03-16
「虚」=「空」になりたいあらゆる柵から解放されて
海をみる・歩いてみる・風呂にはいる
何事も「平常心」が大切とは、月並みな物言いである。スポーツ競技などで大舞台に臨む際に、日頃の練習通りにやれという格言的な言い方としてよく使用される。世情が混乱している現在のような時にもまた、「平常心」が求められるのではないかとも思う。だが「平常心」を保っているつもりであっても、心は自覚なき領域で傷つき疲弊しているのを感じざるを得ない。休日ならばなおさら気分転換して回復させるべきと思うのだが、どうやらこの「べき」がいけないようである。公共の場所へ行くことも控えるべき、免疫力を高める行動はすべき、あれこれすべきと思うことを実行できない不甲斐なさに、心身は頭を垂れて冴えることはない。
そんな心を「虚」にできたら、どんなにかいいと思う。「虚」は「虚空」「虚無」などの漢語があるように「からである」「実がない」などの意がある。特に日本語では「むなしい」と訓読され、「はかない」とか「うつけ」などの意で使用されることが多い。その言語使用的背景があるからか、「虚構」などに対しても否定的な趣旨を感じ取る人々も少なくない。だが本来は「虚」の境地にこそ、崇高で繊細な感覚が生じるものである。著名な江戸時代の浄瑠璃作者・近松門左衛門は「芸といふものは、実と虚との皮膜(原文に「ひにく」のふりがなあり)の間にあるものなり。」と述べたと云う。(穂積以貫『難波土産』による)激しい動揺や世情の荒びにこそ実から虚へと心を向け、その微妙な境地に芸術を生み出すことができるというもの。未だ「虚」になるのは難しい、修行はまだまだ足りぬ。
「虚」になろうと藻搔いては
様々な行動を試してみようとはするが
新型コロナ感染の問題のみならず、この生きづらさは何であろうか?
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