前提たる理解なき無惨
2020-03-14
「仏語。罪を犯しながら、みずからを省みて恥じないこと。後世、多く『破戒無慙』『放免無慙』などと熟し用いる。むぞう。」
(『日本国語大辞典第二版』「むざん」の見出し(1)より)
先が読めない事態にあって、情報を収集し精査し適切に理解して判断し行動するのが知性ある態度であろう。翻って真逆を考えてみると、証拠なき出所もわからぬ情報を文脈や誰に向けた発言であるかも吟味し想像もせず、自分勝手な解釈を施し恣意的な判断を下して安易に行動してしまうことを、何と呼べばいのだろうか?新型コロナ感染拡大で様々なニュースが報道される中、「ばらまいてやる」と家族に言い放ち飲食店を複数渡り歩いて濃厚接触的な行為を平然か意図的にか行なっていた陽性患者、その映像までもがメディアで公開されていた。飲食店の店員1名が感染してしまい、店舗側は警察に被害届を提出するらしい。まさに「破戒無慙」、戒律を破っても心に恥じない所業である。
本当に理解ができていないのか?それとも拡散を意図していたのか?いずれにしてもこの社会全体が不安の渦中にある中で、常識人には理解できない愚行である。あらためて「理解」とは何か?を深く考えさせられる事例でもあった。常識として現況の社会状況ならば、最低限の範囲の「理解」があり、自らの言動を律するのが普通であろう。こう書くと「常識」や「普通」も、大変に気になってくる。もとより「常識」の尺度が違えば、当人にとって「愚行」ではない。前述した事例のみならず、社会を構成している人々の中で共有されるべき「常識」「普通」「理解」の紐がほつれてしまうような事例が多き世の中になってはいないか。特に「知性」はあるはずだ、と思っている輩の愚行には唖然以上の無惨を覚え、表現する言葉を僕は知らない。
「無残」「無惨」ー「残酷であること」で使用されることが多いが
まさに仏語としての原義を思う
「理解力」「想像力」小学生でも身につけるべき力である。
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