物語や演劇にあらずー9年目の14時46分
2020-03-12
快晴の宮崎の空太平洋に向かって祈る時間
ニュースは物語や演劇にあらずして
「その時」の記憶が鮮明に消えない日時がまた巡り来た。「3月11日14時46分」宮崎に来てからは大抵が大学の研究室にいる時間となるので、太平洋が望める廊下の窓から祈りを捧げることにしている。東日本大震災で犠牲になった多くの方々のご冥福を祈るとともに、この国の様々な社会構造が誤った道を歩まないようにという思いを再確認するためだ。自然は大きく地を揺すり様々な建造物を破壊し、海の水は巨大な力で多くの人々を呑み込み、人類が成した脅威たる火を暴発させた。ならば「自然」が真犯人なのか?否、その東の海上の列島に住んでいるのは誰だ。地球規模で見たら僅かな時間の中にも、この列島での暮らし方を我々は多少なりとも叡智として学んで来たはずだった。「今」の繁栄のみならず、人類史としてこの列島にいかに住んだらよいのかを・・・
「文学」への逆風が特に教育分野で強まる時代。「事実」の「説明」とか、「根拠」ある「論理」こそが「学び」だと声高に云う輩がいる。だがしかし、誠に危ういのは「事実」や「論理」の「物語化・演劇化」ではないかと思う節に出会うことが、この9年間で急増して来ているように思われる。「物語・演劇」はもとより文学的な意味で、「現実以上の真実」を炙り出す深い叡智であるはずゆえ、その構造を逆利用して「現実を歪曲」しようとする悪意が跳梁跋扈していることを警戒したい。「物語・演劇」からすれば、いい迷惑なのだ。昨日のニュース報道の作り方を観ていて、こんな危うさを覚えたのは僕だけであろうか。新しく建造されたある地の駅舎は、ドラマのセットのように人影もなく撮影で利用されるのを待っているかのようである。この時宜にあって新型コロナ感染拡大の世情、自然は形を変え品を変え、我々人類に何かを訴えかけようとしているのだろう?その「何か?」に人類史という次元の広い視野をもって、応じなければならない時なのかもしれない。
地球が僕たちに言いたい聲を聴こう
「また」誤った歩みをしているかもしれぬ人類
14時46分の奥底にあるものを忘れてはならぬ
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