教育の質保証はどうなるのだろう?
2020-03-03
一斉休校に入る問題点は子どもたちの居場所・親の休業補償
何より貴重な教育機会が失われることでは
首相の急な要請を受けてから週末のみの短期間を跨ぎ、全国の小中高校が一斉休校に入った。首相は、休校期間の子どもたちがどこでどのように過ごすのか、また親が仕事を休業したことへの賃金補償などに制度を創設して取り組むのだと言う。学童保育の拡充や学校教員の派遣、正規非正規を問わない休業補償などが言葉の上では語られている。学校という場に多くの子どもたちが一堂に会するゆえに「集団感染のリスクがある」から未然に防ぐと言うのだが、学童保育で集団が集まることとどれほどの違いがあるのだろうかと単純に疑問を感じる。教室での授業を中心とした活動と学童保育での活動内容を比較すれば、前者の方が感染リスクが少ないのではと考えるのは、現実的な判断ではないのだろうか?多くの共働き世帯が休業を余儀なくされることで、中には看護師に休業の割合が多いことで診療を縮小した病院もあると聞く。
概ねメディアなどが指摘する今回の休校措置への問題点は前述のようなことであるが、何より子どもたち当人たちから貴重な教育機会が失われたことへの保証はどうなるのだろうか?小学校6年生などが突然に「クラスで学ぶ最後の一日」を宣言されて、友人らとの時間を奪われたことは取り沙汰されるにしても、残りの約1ヶ月で学ぶべき目標や内容をいかに保証するか?ということが議論されることはほとんどないように思う。これは「思い出」とか節目の儀式ができないことへの感情的な問題ではなく、一定の時間量にこだわって教育の質を保証せよという現在の教育の方針にも大きく矛盾することであるように思われる。さらに言うならば、これが先の見えない事態であるからこそ一層深刻なのである。「授業」そのものに凝縮して考えるならば、年間の「振り返り」「まとめ」の部分が実施されない。その「授業」を眼の前にしたら指導主事なら必ず、異を唱えるであろう。日常から現場の「授業研究」などで指導要領に則した教育の質保証を考えている身として、何より教育機会が失われたことが最大の問題ではないかと思ってしまう。さらに言うなら、「そこ」にまったく考えが及ばない社会そのものが誠に危機的であると感じざるを得ない。
将来を担う子どもたちにとって
大きな損失となることをどう補うのか
今、社会そのものの質が試されている。
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