水はなぜ強いのか?
2020-03-01
生命の根源であり大きな圧力もありいかなる形にも自在に変容し
強引に踏ん張る人造物など足元にも及ばず
高校時代の漢文の授業の頃から、気になる考え方だと思っていたのが『老子』である。確か当時の教科書は『論語』に記された孔子の考え方と対照的に、老子の考え方が掲載されていたように思う。最近は自らが編集に関わった教科書でも、この「儒家」ー「道家」を対照させて学ぶ教材編成は採りづらかったように思われる。現在、複数の資料の比較読みが脚光を浴びるなか、ぜひ中学校を含めた漢文教材でこうした編集を叶えて欲しいと思う。学問や長幼の序への考え方として、『論語』に記された孔子の教えが貴重であるのは確かである。だが中国の悠久の歴史を紐解いても、「儒家」ー「道家」が対話的に交流してこそ世情の中立が成されてきたのも確かであろう。
「道家」の祖たる老子の大きな柱として、冒頭に記した「水」の考え方がある。どんなに剛強な岩や木よりも、「水」こそが何よりも強いとするのだ。もとより、我々人間の身体の7割ほどは水分であるとよく聞く。(正確な割合かどうかは調べたわけではない)などと考えれば、今この小欄に記している思考・言葉さえも水を元にして醸成されたことになる。時に人造物をいとも簡単に圧力で押し流す暴力的な面もあるが、入れられた容器がどんな形であろうと極まった相似形に変化することができる柔軟性に長けている。その真価を簡単に人間は知覚できないほど柔軟に他からの影響を受けながらも、根本的な存在価値はブレずに変わらない。この「水」の性質を見習った時、人間たるものも多くの異質な意見が交流し対話してこそ真に屈強な成功へと道が開けるのである。閉ざされた枠内で凝り固まった思考はいつも脆弱で、他者を誤魔化すことでしか存在価値を維持できなくなるのである。
この感染の世情に降る雨
僕たちは世界でどんな知恵を対話できるのか
「如水」という考え方を今一度見直すべきではないか。
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