地域における歩くと車と
2020-02-18
二足歩行こそヒトとしての思考や言語を創り出す源だったのでは
地方の地域に生きる上で
現在、1日に1万歩を達成するのは容易ではない。東京在住時は公共交通機関での通勤であったがために、駅まで乗換などを含めて日常的に8000歩以上は楽に達成していた。この宮崎に移住した頃から、「車がないと生活ができない」と云う声を多く耳にした。だが果たして本当にそうなのか?と疑問に思うことも少なくない。バスや電車の本数が少ないと云うが、狙いを定めて利用すればよい。買物も時間さえあれば、徒歩で行けないわけではない。どの程度の距離を歩けるかは、誠に個々の人の心がけ次第である。しかし、高齢となって歩行が困難である方々も次第に増えている。地域巡回バスが運行するなどの対策が町内自治会で採られていたが、今般は「乗合タクシー」の制度に切り替えられると云う。また大学キャンパスにも設置されたが、「シェア自転車」などの試みも始まっている。
先日、地元の人と公共温泉で話していると、小学校への通学なども雨が降ると車で送迎してしまう親が多いらしい。確かに近所の公立中学校でも部活動が終わる頃には、多くの車が学校前の路上を埋め尽くしている光景が日常的だ。一昔前はプロ野球キャンプでも、球場から宿舎のホテルまでランニングで帰る有名選手も少なくなかったと聞く。部活動が心身を成長させるのだとすれば、親の車による送迎は大きな矛盾を孕んでいないか。かくいう自分も車を使ってしまっているので、最近は昼休みなどにキャンパス内を散策することを日課とするようになった。歩けば今までには気づかなかったことを発見でき、食後の血糖値上昇も抑えられるがゆえ、その後の作業も眠くなることが減った。だが時折考える、歩くために歩いているという自らへの欺瞞を拭い得ないと。最近の平均歩数は8000歩台後半、1万歩を越えるためには生活意識を改革するしかないのであるが。
歩くことは脳の活性化にも
乗り物はヒトをいかに変質させたのか?
過密で網の目のような交通網の都市との両極端を思いつつ。
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