「木漏日のかげに坐りたる犬」太陽のちから
2020-02-07
「杉の木(こ)の間(ま)ものおもふわが顔のまへ木漏日のかげに坐りたる犬」(若山牧水・第四歌集『路上』より)
「ひなた」降り注ぐ県にて思うこと。
研究室の窓は南側であるため、晴れた日の昼間は自ずと「ひなた」であり太陽の暖かさの恩恵を受けている。ゼミなどを実施する演習室は建物反対の北側であるが、90分間いるだけでかなり寒い印象を受ける。まさに太陽の力は生の根源を生み出し偉大であるとともに、地球温暖化を考えると脅威でもある。そんな「太陽」を自然として意識する生活から、近現代化はみるみる遠のいてしまったのであろう。たぶん恩恵を忘れた地球人に、太陽は警告を発しているのが温暖化の意味なのかもしれない。「日向国(ひゅうがのくに)」と旧国名があるように、宮崎は真東が海岸線に面する地形で日の出を見るには遮るものがない。大学の建つ高台からは日向灘に昇る太陽の眩しさで1日が始まり、おおよそ天中する2時を経て夕刻に至るまでキャンパスは太陽の光を浴びている。
太陽の光は様々なかたちで、我々に向けて降り注ぐものだ。冒頭の牧水の歌は「木漏日」という語が使用されているが、『日本国語大辞典第二版』見出語で検索すると第一の用例として採録されている。『日国』の用例は原則として「初出」であるとするならば、「明治語」として使用され始めた語彙のうちではないかと興味が湧く。一首は「杉の木の間」に「ものおもふ」て耽っていると、私の顔の前に降り来る「木漏日」の影に坐っている犬がいたものだ、という自らが置かれた場の情景を素朴に詠んだものである。木蔭に「ものおもふ」牧水の沈思黙考する姿とともに、「顔のまへ」に鮮烈に降り注ぐ「木漏日」が印象深く表現され、自らが孤独かと思えば其処に友だちのような「犬」がいることに気づくフリをするような表現が心憎い。「杉の木」「木漏日」「坐りたる犬」とその場に居合わせた「自己」の発見。太陽はスポットライトと化したように、生命を照らすのである。
我が家を含めて南側の部屋の恩恵
冬こそ暖かさに感謝し太陽と喧嘩しない文明でありたい
自然と親和的な牧水の歌に学ぶ。
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