小兵はいかに闘うか?
2020-01-26
大相撲の楽しみは一番に気になるのが「炎鵬」関
倍ほどの巨体力士を倒す魅力
夕刻からホームセンターへの買い物に出ていたが、終盤になって大相撲中継が気になって来た。平幕1敗同士の「正代」対「徳勝龍」の取り組みが、食材を買うはずのCOOPの駐車場あたりで時間になったので、思わず車載TVにて観戦することにした。比較的に巨体な両雄の対決は平幕とはいえ迫力十分で、前頭付け出しの徳勝龍が”しこ名”を体現するかのように1敗を守る勝利を収めた。相撲という競技は、ほぼ何十秒かの取り組みのために場所前稽古から巡業など、激しい鍛錬を繰り返すプロスポーツである。場合によっては数秒で勝負が決する、刹那に無常観が漲る”文化”を背負っている。勝負が行われる時間的な微少さからすると、あの巨体の力士が何とも不釣り合いな気もするが、そこが「大相撲」の「大相撲」たる所以なのであろう。
そんな大相撲で最近一番に気になっているのが、「大相撲」の名に矛盾するような小兵の「炎鵬」の活躍である。今場所番付は前頭5枚目、昨今の力士の顔ぶれが200Kgにも迫る巨体が居並ぶ中で半分の100Kgにも及ばない身体で今場所も昨日までに8勝6敗と勝ち越して健闘している。昨日の「大栄翔」関との取り組みのように巨体に任せて正面から押されてしまうと、子どものように押し出されてしまうが、僕にはその姿にこの上もない魅力を感じてしまうのだ。果たしてそれはなぜであろうか?と考えた。僕自身が幼稚園や小学校の低学年頃には決して威勢よく振る舞えるわけではなく、力任せの者に萎縮していた経験が思い返される。その後、小学校中学年頃からも決して大きな身体になったわけではないが、考え方次第で力を発揮できることを知った。そのためか中高の教師でも、力任せに生徒に押し付ける輩は嫌いだった。自身が中高教員になってからも、組織内の力任せの人間関係や評価に嫌気がさして、研究という公正な評価が得られる道に踏み出した。丸腰・丸裸でも勝負できる力とは何か?炎鵬関の姿を観て、僕はそんな自己の生き方に重ねているのだろうと思うところがある。
知性と技術と怯まない心
北辰一刀流免許皆伝ながら太刀を抜かない龍馬のごとく
炎鵬関の活躍に、謙虚で前向きな気持ちをいつも忘れないでいたい。
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