思いつくお喋りする落書きする
2020-01-23
「ワールドカフェ」方式「2列トーク」で情報収集
考えて話すから話して考えるへ
「思いつき」「お喋り」「落書き」などと言うと、学校の学習活動としてはむしろ禁じられることだと思う人が多いであろう。「よく考えて」「静かに」「整えて書く」などと先生に指導されそうなことである。旧来の〈教室〉では、後者を原則に授業が進められていた。少なくとも「お喋り」はまず第一に禁じられることである。しかし、最近はむしろ前者のような姿勢でこそ「思考力・判断力・表現力」などを育むことができると考えられるようになった。冒頭に記した「ワールドカフェ」方式というのは、「カフェ」で行うような、オープンで自由な会話のことで、活き活きとした意見交換や、新たな発想の誕生が期待できる趣旨の方法である。また、「2列トーク」も「1分」程度の短い時間に、相手と向き合い思いつくままに自由に対話する。決して「用意したもの」を話すわけではない。
今も日本社会の様々な場面で、「原稿読み」のような”プレゼン”ならぬ「読み上げ」が行われる。本人が伝えたいことを述べているようには、まず思えない表現力だ。本当に「創造的」であるためには縛られずに自由に話す書く必要がある。ノートや壁の「落書き」が、芸術的なほどに昇華していることは少なくない。以上のような考え方を導入して、附属中学校で研究授業が実施された。教材は『走れメロス』であり、授業の目標は「群読劇を客観的に自己評価し他者との違いに気づき、表現の仕方や脚本の構成をよりよく改善しよう。」であった。僕自身が15年以上前から取り組んでいた「群読劇」を、創って終わりではなくその改善について前述のような方法で練り上げていく構想である。「群読劇」は脚本から創造する過程そのものが「対話的」であるが、より客観的な評価を加えるために、タブレットの動画映像を利用して振り返ることができたりと僕が中学校教員の頃よりさらなる先へと進んでいる。授業を参観していて「こういう授業がしたかったのだ」という思いを抱く発見が多々あった。
図書館でも「静粛に」ではなく「自由に話す」
模造紙上の脚本にどんどんと落書きをしていく
日本の〈教室〉が旧態依然では社会が変わらない。
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