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悪しき兄貴がいるからさ

2020-01-09
幼少の頃の出来事
公園で年下なのに幅を利かせるやつ
喧嘩が強いと自慢する悪しき兄貴の存在が

何においても喧嘩が嫌いである。幼稚園から高校まで、どれだけ喧嘩を仕掛けられても回避する道を選ぶのが常であった。ゆえに教室などで他の者が喧嘩していると、いつも心が傷んだ。言い争いだとしてもそれは、精神を擦り減らし後味の悪さしか残らない所業である。などと回想しつつも、幼少の頃というものは「喧嘩」に対応せねばならぬことが少なからずある。「幼児性」とは我が儘を通すことであり、「諍う」ということそのものも動物的な成長過程においては必要なことなのかもしれない。ライバルと本能的に「争う」ことによって、人間はいかほどにも昇華した存在になることも可能だ。「幼児」ならば喧嘩を経験することによって、痛さも辛さも悲しみも喜びも知るのだろう。身体的に成長していない幼児なら、喧嘩をしても怪我をしない着地点に自然に降り立つことができるからだ。

小学校の6年間では「勉強」のみならず、こうした社会の荒波への対応力も学ぶはず。正義も理不尽も身近な経験から体験的に学ぶものである。小学校半ばぐらいの頃だろうか、町内の木立に囲まれた閉鎖的な公園へ家が近所の平和的な友人らと3人で遊びに行くと、たぶん「年下」と思われる二人組が「高学年」だと嘘をつき、僕ら三人に所謂「因縁」をつけてきた。「年下」だとわかったのは、そいつらの兄貴が高学年でも札付きの喧嘩の強い存在だと知っていたからだ。奴は「兄貴」の武力の傘の下で僕らに幅を利かせ、もしやられたら兄貴が復讐をするという図式の中で僕らに絡んだわけだ。僕ら3人のうち一人は「今だ」と言って隙を見て逃げたが、僕ともう一人の穏やかな友人が取り残された。すると奴らは僕ら二人に「喧嘩をしろ」と強要した。仕方なく両手を前で押し合うような均衡ある対立の姿勢を取っていると、「もっとちゃんと喧嘩しろ」と奴は言った。僕は友人と「お前は僕らより年下だろう」と宣言して、解放させることを頭の中では考えつつも、例の兄貴の威光で言い出せず終い。想像の上では奴らに砂でも掛けて、逃走する道を頭で描いていた。だが、次第に辛くなった僕はとうとう泣き出してしまった。あまりに大声で泣いたので、奴らも驚いて僕らを解放せざるを得なくなった。今、小欄にこの記憶を記していても自らに情けなさを覚えるのだが、どれだけ無用の「諍い」が悲しいかを全身で表現した僕は間違いでなかったような気もしている。

その後、その兄貴に膝蹴りを喰らう人を見た
弟がやられたことへの報復だということらしい
この兄弟がどんな人生を送っているか?武力はいつか自滅の図式を描くはずなのだが。


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