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ふるさとは遠きにありて

2019-12-24
室生犀星の詩を音読していた頃
学問の基礎から研究までを支えてくれた街
あらためてふるさとを語るときが来た

生まれることそのものを、人は自ら選択できない。生まれる場所も環境もまた同じだが、その邂逅そのものを「ふるさと」と呼ぶ。物心ついてそこにあるもの、初動の行為がICT機器などでも規定の設定になるように、人の生育や生きるための興味関心にも大きな影響を与える。今にして思えば、僕にはいつも「声」と「本(文字)」がそこにあったのかもしれない。幼稚園時代には紙芝居やお話のファンタジーな世界観が、大変に好きだった。忙しい両親からは様々な絵本や図鑑を購入してもらい、外で遊ぶよりも本や図鑑を見ているのが好きな子どもだった。やがて小学校中学年頃になって、その街が「文士村」と呼ばれるていることを書物で知った。芥川龍之介・菊池寛などの小説家、詩人では相互に親交が深かった萩原朔太郎や室生犀星らが住んでいた街だ。次第に彼らの詩を必然的に声に出して読むことが好きになった。

文学好きな素養は、最高学府の学びの場に都の西北を選択する。多くの歌人や詩人に文学者が育った圧倒的な環境がそこにあった。これが自らが選択して自らがその扉を開いた、心のふるさととの出逢いである。先生方のみならず、友人や先輩後輩にも様々な刺激を受けた。街には馴染みの飲食店も何軒かあって、その味と栄養で育ててもらった思い出もある。昨今は大学キャンパス構内にもコンビニがあるぐらいで、街にある「おふくろの味」ほ流行らなくなってしまった。僕の馴染みの店もほとんどが、後継者も厳しく閉店を余儀なくされている。街は変貌を遂げてしまったが、僕の生き方を基盤から築いてくれた「ふるさと」がある。今現在、宮崎に住んで東京を遠目に眺められるようになって初めて、タイトルの犀星の詩の意味も噛み締められるようになった。そして、このような言葉を紡ぐ宮崎が次なる「ふるさと」になろうとしている。

今までの人生で得られたことを歌に
「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても」
回顧するのみにあらず、今から言葉で「ふるさと」を創るのである。


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