「待つ」ことは生きることー#まちなか文化堂
2019-12-22
「外はため息さえ凍りついて冬枯れの街路樹に風が泣く
あの赤煉瓦の停車場で
二度と帰らない誰かを待ってるwow」(桑田佳祐作詞「白い恋人たち」より)
国文祭・芸文祭2020プレ企画「まちなか文化堂#2」の担当第2回目が開催された。前週同様に蔦屋書店さんとのコラボ企画で、市内中心部にある店舗の売場内に設けられた特設会場にてセミナーを実施した。街はX’mas前で親子連れなども多く絵本のコーナーなどに訪れており、このセミナーを目当てにして来た人ではない方々が、覗き見てくれるような感覚が嬉しい。まさに「まちなか」に文化の香りを漂わせるのが大きな目的である。さて、今回のセミナーの中心的なキーワードは、「待つ」ということであった。X’masの明治以降の受容史を鑑みながら、僕たちはいつの時代も何を「待って」生きて来たのか。サンタクロースのプレゼントを待つ子どもたち、そして聖夜を恋人と過ごすために待つ男女、または会社帰りのお父さんを待つ家族。何か特別な日にあらずしても「待つ」という感情そのものが、生きることそのものに思えてくる。
「死ぬために命は生るる大洋の古代微笑のごときさざなみ」(春日井健『青葦』より)の短歌などは、「生命」の根源を「大洋」(海)に見出し古代の香りを漂わせながら考えさせられる歌である。『百人一首』(97)にある藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ」を読んでも、恋い焦がれる対象を待つという心情は、X’masの有無を問わず人間の普遍的なものであると言える。単に『百人一首』のみでも、恋の歌で「待つ」心情を表出したものは多く見出すことができる。「人は独りで生まれ、独りで死んでいく」という無常な必然性を考えるに、まさに誰かと出逢いを待つために人は生まれのである。その生きる哲学とも言える普遍性の中で、人生は自ら行動し「待つ」対象と出逢うための冒険なのかもしれない。「君を待つ土曜日なりき待つという時間を食べて女は生きる」(俵万智『サラダ記念日』より)
「待ち時間長きもよけれ日の出待ち月の出を待ち永遠を待つ」(伊藤一彦『待ち時間』より)
待つことができない世の中がさらに進行しそうな世相の中で
せめて宮崎では穏やかに「待てる」生き方ができるようにありたい。
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