野田あすかさんミニ演奏会&母・恭子さん講演会
2019-12-16
「あなたはあなたのままでいいんだよ」「小さい頃のわたしへ」の手紙
発達障がいと向き合う親子の生きる
終演後、取材に来ていたTV局のインタビューを受け、概ね次のようなことを話した。「心がそのまま(ピアノの)音になって出てくるようで、聞く側の心に言葉のように届いた。誰もが社会の中で光り輝ける可能性があることを、多くの人々に伝える深い力がある講演と演奏で、自然と涙が出るようなものでした。」夕刻の宮崎放送のニュースで、このインタビューの一部が流れたようだが、義母が録画してくれたものをさらに動画に撮って送ってもらい観ると、最後の部分だけが編集されて一言のみが映像化されていた。自らその映像のコメントを観て、「自然と涙が出る」とは何だろう?と考えた。涙に種類があるとすれば、映画・演劇など虚構で創られた(原作がノンフィクションだとしても芝居であるゆえ)もので流れるそれと、リアルな現実を目の当たりにした際のそれは、違うのではないかという実感を持った。
幼少の頃から周囲に理解されないという苦しみを抱えて、人生を歩んで来た野田あすかさん。お母さま・恭子さんのお話を聴いて、幾度となく前述したような涙が流れた。発達障がいがあることに気づいたのは、22歳で海外留学した際のこと。幼少の頃は特に周囲に合わせられない自分を責めて、苦しむ日々であったと云う。発達障がいの発見が遅かったことも含めて、この国の社会の横並び主義の教育の弊害を痛感する。幼稚園・小学校からみんな同じく規則正しくを強要することを「個性を大事に」と理念だけで唱えながら、今も顕然とした押し付けが止まない。野田さんは宮崎大学で学ぼうと憧れ入学も果たしたというが、やはり様々な重圧を受けて中退を余儀なくされたという経歴も紹介された。「学校」が一人ひとりの個性を輝かすために何ができるか?教育学部の大きな課題として、当事者として様々なことを考えさせられた。
「木もれびの記憶」過去をもとにした野田さんの作曲
「愛燦燦」がさらに人生の深みを感じさせるピアノで蘇る
野田さん親子が宮崎の地で豊かな人生に出逢えていることに涙。
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