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繊細な言葉・生きる言葉

2019-12-13
表面的に大掴みではなく
繊細に深層を捉えた言葉が欲しい
そして常に実行できる生きた言葉でありたい

担当の演習(授業)では、学生が資料レジュメを作成し発表そのもので他の受講者の間で対話が生じるようテーマを設定し、話し合いまでを授業構成することになっている。そのレジュメや対話を見聞していて思うのは、言葉の繊細さの深浅である。特に扱っている題材が古典(『枕草子』)であるため、語釈・解釈・評などにおいて平安朝時代人の繊細さに向き合うことになる。諸本の校異からして様々に問題があるわけだが、その可変的な言葉の継承にどれだけ意識が深められるかが重要である。単に「『枕草子』を」学ぶ意味以上に、「『枕草子』で」学ぶ意義を多様に拡げるべきである。単位の必要性いかんの問題でもなく、教師になるにあたり向き合う言葉への緻密な意識こそを学んでいるという自覚が大切だ。

演習に引き続く午後の「文学史」講義では、連歌を実作する座を体験する回となった。発句を僕が「冬」の題で「年末」を季語とし切れ字をいれて創った。その後は順番に普段はあまり話し合わないメンバーの順列にして一句ずつ付けて行った。講義時間の制限もあるので、1人あたり2分間程度で考案するのは決して学生たちにとって簡単ではないようだ。それはたぶん、高校までの国語学習でこのような自由な連想を働かせる学びの機会の経験が無いのだろうとも痛感した。即詠することで、言語感覚の豊かさと繊細さが露わになる。しかも連なっている句の「意味」ばかりを考え過ぎて、なかなか自由な発想になれない。言葉の音律による重ねやイメージから洒脱な発想がなかなか湧いてこない学生たちを目の当たりにする結果となった。SNSは駆使しているのだろうが、果たして言語感覚の豊かさをどこまで保証できるか?教員養成においても大きな課題である。

場当たり的で表面的な言葉
思考を多様にしてこそ教員として授業が豊かになる
そしてまた、実行を伴う生きた言葉を常に心がけたい。


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