脳の使うところ
2019-12-10
事務的なメール文書作成文学を読み解いていく思考
短歌を創る過程などなど・・・
宮崎大学短歌会12月1回目の例会が開催された。毎度、18時30分から約2時間ほどの所要時間となるが、1日の校務と講義等を終えたこの時間帯の頭の使い方はいかにと思うことがある。期せずして漢字を読み間違ってしまったり、指定された歌の番号を間違えてしまったり、頭の使うところが切り替わらず混乱しているのではないかと感じるのだ。それでも以前は歌会となれば頭は切り替わっていたが、やや校務が過重なこともあり、文学を読み文学を語る頭になかなかならないような感覚がある。歌の創作についても、研究室という環境はあまり適さないような気がしてきた。会議が重なり事務的な頭になると、創作する思考は奪われ自ら創る歌に甚だしい嫌悪感を覚える。
歌の素材に出逢ったり、歌の推敲を繰り返すには、やはり頭の使い方を創作仕様に切り替える必要があるように思う。歌集を読むのはもとより、俳句や小説などの他ジャンルの文芸作品を読むとか、文学に向き合う頭にしていく準備が必要だ。この切り替えが短時間でも可能になることが、今は求められているのだろう。歌人の方々には、医師であったり細胞学者であったりと他分野において高度な研究に携わる方々も少なくない。患者の方々と向き合う緊張感や研究分析における実験などと、短歌創作の頭をうまく切り替えているはずである。また、著名な歌人の方でも「もう歌はできないのではないか」と言うほどのスランプに陥ることもあると云う。事務はあくまで「事務的」に、そして生活の折ふしに瞬間湯沸かし器のごとく短歌頭になれたらいいと思っている。
歌会には県庁文化振興課の方々も
15首の詠草を読んでいるうちに頭も変化してくる
豊かに生きるとは頭と身体を様々に活きたものにすることである。
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