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「とこしへの川」と「潜伏キリシタン」を偲び

2019-12-08
「くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川」(竹山広)
この長崎の空と海が見てきたこと
暴挙と弾圧と信仰と人々の祈り

長崎への出張は大変に貴重な情報交換の機会となり、九州沖縄地区の大学の先生方とともに頑張ろうという思いを新たにした。しかし長崎に来れば、やはり丘の斜面に建つ宿から街を行き来するに思うのは、74年前の原爆投下の惨禍である。「心の花」歌人であった竹山広の冒頭の歌などが、すぐに心の底から湧き上がってくる。自らが宿泊するホテルの当地では、原爆投下の時にどれほどの惨状であっただろうか?街の中で見かける川は、竹山の歌に表現された韻律によってしか表現できない地獄絵であっただろう。山田洋次監督の『母と暮せば』に描かれたように、長崎大学でも多くの学生たちが若い命を人類の暴挙に奪われたのだ。竹山の歌の持つ強烈な音の響きが、そのあってはならぬ暴挙を人としての言葉として、強く牽制しているように僕には聞こえる。しかも、当地長崎でこの歌を口ずさむ時、その憤りと継承と祈りの織り混ざった気持ちになるのだ。

先日のローマ教皇も長崎を訪問に、核兵器廃絶への思いを新たにした。さらに長崎でキリスト教伝来から繁栄、そして弾圧と潜伏から復活という信仰の受容史についてどうしても考えてしまう。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は「世界遺産」に2018年に登録された。江戸幕府の弾圧が強まる中、信者たちは離島や天草などへと移住し、神道や仏教徒を装いながらキリスト教信仰の灯を繋いでいた。彼らのことを「潜伏キリシタン」と呼び、弾圧されたことによって独特の深く敬虔な信仰心を培ったのだと云う。時代劇などでは「かくれキリシタン」という用語が汎用的であったように思うが、「かくれ」というと弾圧がなくなった後もなお、それまでの「潜伏」がもたらした共同体的な結束を尊ぶような作用が働き(この点は僕の解釈もある)、「かくれ」つつ深い信仰心を継続した信徒のことを云うらしい。長崎各地には常に平和への祈りがある。弾圧と暴挙によってこの敬虔な空気が醸成されたのかと思うと複雑な思いを抱くが、だからこそ僕らは長崎や天草の空と海を体感する必要がある。

「水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子」(竹山広)
「千々石ミゲルその名捨て去りたるのちの痕跡ことごとく滅びたり」(竹山広)
長崎の空と海は、時折ひび割れて過去の凄惨に遭った人々の血と涙が流れ出ている。


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