考えない授業・試験の果てに
2019-12-06
「国語」試験対策はワークブックの暗記「覚えらえない」と嘆く試験前
「授業が足りない」と言う歴史の教師
「教科書は現代史を やる前に時間切れ」と歌うのは、サザンオールスターズの「ピースとハイライト」という曲の歌詞の一節である。これを聞いた時、誰しもが「納得」できる普遍性があったように思う。高校の「歴史」の授業では、原始・古代から時系列に授業が進み、肝心要の「近現代史」をあまりやらずに高校3年を終えてしまう。大学入試でも一番狙われ緻密な問題を作成できるのが「近現代史」にもかかわらず、「歴史」の時系列学習時間切れという悲劇が、日本の学びの一端を劣化させてきたとも言えるだろう。高校教員だった頃、よくその歴史の教員から「どうせ古文の授業は余るでしょう。時間をくれないか」と傲慢に依頼されたことが何度もある。当人は「時間が足りなくて終わらない」のだと主張するが、クラスの生徒から聞けば穴埋めプリントをやり尽くす授業であると知り、授業時間を提供するのは微妙な気分であった記憶がある。
「近現代史」に直結した「現代」を生きている、昨年の明治150年という節目にあたりあらためて実感したことだ。この150年間を「なぜ?」という問いを立てて、多様な他者らと対話し今を生きる自分の問題として歴史を学ばないゆえ、国際社会からも取り残される外交意識しか醸成できない。「歴史」のみならず、「国語」でさえも中高生の学びは「覚える」ことが今も中心で、「考える」ものになっていない。大学に入学してくる1年生に接するとすぐにわかる、短歌の解釈一つでも「正解」を求めて、こちらの提示する唯一無二を待とうとしている。中学校高等学校でワークブックなどで学習すると、その傾向は甚だしく強い。過去の勤務校の同僚の国語教員で、ワークブックを中心に答え合わせのような授業を進め、試験も同類の出題ばかりという方がいた。生徒たちは「国語は暗記科目」だと決めつけて、「覚えれば点数が取れる」と思い込んでいた。もちろん昨今では、工夫を凝らした「考える授業」を展開している中高の先生方も多い。しかし、「考えない」学習の成果は、既に政治・行政の場をはじめ社会の隅々にまで蔓延していることを深く憂慮している。
「教え込む」という教師の傲慢
それは学び手を見くびる誠に失礼な思い込みである
このような教育の現状も自らの問題として考える子どもたちを育てねばなるまい。
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