ショックの先の語彙を知らないー「読解力低下」はいかに
2019-12-05
あの「PISAショック」と言われたとき「ゆとり教育」を犯人にして本質を隠蔽した
今また「ショック」の先をどう呼ぼうか
文学・国語教育に携わる者にとって、OECDのPISA学力調査で「読解力15位に急落」のニュースは看過できないものがあった。2000年代初頭の「14位」への急落時には「PISAショック」と呼ばれ、すべての責任が「ゆとり教育」におっ被せられた。その後、「V字回復」などと一時的な戦勝に酔うような新聞報道もなされていたが今回は「ショック」より順位を下げ、その次に来る語彙を僕たちは知らない。複数の情報を関連付けて、主体的に根拠を踏まえた意見を述べるという問いに、日本の教育は対応できないのである。「予定調和」を旨とし、あらかじめ「用意」した文言を無機質な声や文字で表現する。学校の音読に象徴的に表れるこの現象の行く末は、「国会答弁」に顕著に表れる。どんなに混乱しようと自己の意見を主体的に述べている英国議会や、「民主主義」に身体を張る香港の学生たちにも、日本の教育と癒着的関係の中のみで育った政治家・官僚たちの文言は劣る。
「正解探し」の予定調和な国語の学び、要はこの負の螺旋階段から「教育」に関係するあらゆる局面が抜け出せない、いや抜け出そうとしない。先日も学生たちのグループから講義の課題だと言って「正解のない国語と基礎科目で仰っているが、小中高の教育でもそれは目指せるのか?」と言った趣旨の質問を受けた。回答として「僕は中高教員であった頃からその方針で多様な思考を育てる教育をしてきた」と言った。その回答にあたり、中高現場の同僚から特異な教員と見られ、同学年で同じ科目を担当することを忌避された過去を回想した。僕と組めば自ずと試験は記述式が中心となり、教員自らが生徒たちの解答記述を深く読む読解力がないと採点ができなかったからである。今回の調査結果発表の記事に添えて、「小説・物語を読んでいる子どもたちの学力は、平均よりも高い」という趣旨のものがあった。「情報」の比べ読みは、文学テクストの読解や詩歌の彩を深く読むことで育まれるのだ。「文学」こそが実践的な思考の「練習試合」であることを今一度、再考するべきである。
原因は「多様な要因」としているのだが
教育に予算を投じない国の行く末を憂ふ
首都直下地震の想定でも「情報の精査」は重要な課題である。
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