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誰も助けてくれないー首都直下型地震に思う2

2019-12-04
過密都市で被災しての孤立
人口密度に比して人と濃く繋がる地方
信じられるのは自分だけか・・・・・

東京で生まれ育ち長く住んで来たせいか、自分のことは自分でやるという主義を貫く傾向がある。小学生の頃、家庭科の夏休みの課題で「給食袋」を縫製するというものがあった。いざ2学期の始業式になり、自分で悪戦苦闘して縫い上げた袋の底が左右で互い違いになった代物を提出した。しかし、周囲を見回すと学級の多くの者たちの給食袋は実に綺麗に完成していることに気づいた。小学生ながら、それらは親の手によって縫い上げられたことは明らかだとわかった。だが、僕自身はどこかでこれでいいのだという誇りを持っていた。されど、その学期の通知表の成績評価は「家庭2」(5段階)であった。先生(確か家庭科専科)は僕自身が頑張って縫い上げるよりも、親が手をかけたものを高く評価するのだと云う、どこか大人への不信感のようなものを感じたのを記憶する。

頼れるものを自分だけなのだ、と云う考え方は尊いが危ういとも思う。あの過密都市・東京では誰もが「孤独」といっても過言ではないだろう。昨日の小欄に記した「NHK首都直下地震」の2夜目を観た。ビルのエレベータ内に閉じ込められ孤立する多くの人々、携帯でかろうじて連絡は取れるが、希望を失い暗い中で命を失う恐怖に怯える。そのうち携帯通信網も広い範囲で不通となる。またSNS上に書き込まれたデマにより慌てて避難した人々が、公園の階段で将棋倒しになる。さらには、臨海地区の化学工場から有毒ガスが噴出しやがて大規模な爆発となる。火災は旋風となりその通り道の住宅街は尽く延焼していく。地震発生2日目の惨状は、次第に増すばかりである。適切な情報の把握という意味では、頼れるのは自分だけである。だがしかし、今の僕は人と繋がることを知った。周囲の人々の力なくして、自らは存在できない。東京から打ち寄せる「孤独」の圧迫は、人と人とが繋がることによってしか跳ね返すことができないだろう。しかも迎合して傷を舐め合うのではなく、個々が生かされる連携が地方にはあることを確信している。

流行語大賞は「ONE TEAM」となった
組織のために自らを犠牲にするという意味ではないことを、重々に心得るべき
個々が主人公となり個性を生かして人と繋がることが力になるのだ。


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