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「古」とはいかなるものかー宮崎大学短歌会歌会

2019-10-29
「古き昭和」
「古々米」「中古車」「古民家」「古着」「古本」等々
「古」ものの中に見出せる「新」しき価値

宮崎大学短歌会10月2度目の定例歌会。題詠はある大会への出場を考慮して「古」であった。この7月に参加した徳島で開催された「心の花」全国大会の座談で佐佐木幸綱先生が、「白蓮(NHK連ドラ「花子とアン」で仲間由紀恵が演じて一躍有名になった「心の花」歌人)の歌はもう古びている」という趣旨の発言をされて、それ以来「古」とは何かと考えていたところだった。人間が止めようもない「時」が経過すれば、必然的にすべてが「古」となっていく。生き物でもいやこの世界・宇宙そのものが、常に「古」へ向かっての時間の進行を止められない。同時代的に脚光を浴びた短歌でも、時間が経てば「古」びてくる。その「古」は、一般的に負へと向かうと認識されがちであるが、冒頭に羅列した歌に詠まれた素材の中には「新たな価値」が見出されているものも少なくない。

「中古車」は再生され新たな所有者のものとなることで、少しはEcoに貢献する。先日は「リサイクルショップ」に不要のカラーボックスや「古着」を出してみたが、僅かながらの金銭になることでその物品は新たな道を生きるのである。「古本」に至っては僕の学生時代の経験からすると、講義の教科書を古本屋で探せば、見も知らぬ先輩の書き込みがあって試験対策に大きな力になるという新本よりも価値が高いという状況もあった。大学が街の古本屋と一体となって、学生が媒介し理想的なEco再生社会を築き上げていたことになる。昨日の小欄には「吉永小百合」を話題としたが、「昭和」の大スターは今も凛と自立した演技を求めている。高倉健と吉永小百合の共演などはまさに「昭和」が漂うのだが、それでも「古」びない魅力を感じる神秘さ奥深さがある。吉永小百合を支えているのは、筋トレや水泳を中心にしたパーソナルトレーニングであることをTV番組で知った。年齢を重ねるからこそ、自ら新陳代謝を創り出す。「古本」になぞらえるのも失礼かと思うが、時を超えた「文芸」と「言葉」は「古」と「新」の相互逆説的価値を感じさせるのである。

「アンチエイジング」
「古紙」は再生への道を暗示するのか
生きる上での哲学が「古」に見え隠れする。


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