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「のぼせたら終わり」吉永小百合の美学

2019-10-28
「いつも素人でありたい。
 どれほど役の人物に入り込めるか。」
(NHK「プロフッショナル仕事の流儀」放映から)

一昨日、ふとTVを観ていると吉永小百合の長期密着取材をまとめた冒頭の番組に出逢った。これまでこのような取材に応じたことはなく、ひたむきに映画の仕事を自らの信念で選別してきたと云う。まさに昭和が生んだ「最後のスター」たる存在感には、番組のタイトル通り「プロ中のプロ」と十分に言い切れるような仕事への深いこだわりがある。だが吉永は、番組のインタビューに対して「私は素人」と言う趣旨の言葉を発し続けた。「スターがスター」として「プロがプロ」と意識した際の「驕り」を自戒する謙虚な意識こそが、役作りという微妙で高度な創造を支えている。当該の年齢とは思えない容貌は、常に身体トレーニングを怠らない謙虚で地道な精神構造に支えられた美しさなのだとあらためて感じ入った。

「のぼせたら終わり」なのだと吉永は云う。役者に「これでいい」という安易な到達点などないのだろう。撮影現場にも誰よりも早く入り、メイクもしかり芝居の役への入り方にも、深いこだわりがある。たぶんこの番組の取材では探れなかった深淵が、吉永の奥深さと神秘的な美の秘密なのだろう。その「仕事の流儀」は、どこかイチローなどの姿勢と共通なものを感じさせた。徹底的なこだわり、日常からの「準備」こそが仕事の生命線である。役作りのためには実在の人物の場合、何度もその人の生きた土地に足を運ぶ。その空気に生身で触れることで、「役」という語彙では表現できないほど「当人」になってしまう。高次元の「仕事」ができる者こそ、求めず素朴で謙虚な姿勢を貫くのであろう。安易な虚飾のない者こそが、真の美貌を持つようである。

研究も原点を忘れないこと
短歌も最初に歌会に出した歌こそが
「人に評価されようと思ってやっていない」牧水の姿勢もまた同じ。


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