「秋の夕暮れ」読む文学史
2019-10-25
「心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ」(西行)文学へと誘う「あはれ」の感興
秋に考える「秋の夕暮れ」
中世から近世にわたる文学史の講義では、今月は『新古今和歌集』について扱っている。「文学史」となれば多くの知識を詰め込む内容が思い返されるが、学びの発想そのものを転換する必要があろう。日本の古典文学の基軸は和歌であり、『万葉集』以来現代短歌に至るまで普遍的な題材として「自然と人間」を考えることができるだろう。現代に生きる「われ」を自覚し、どのように「自然」と関わりあっているか?「自然」の中に何を見出すか?こんな思考が活性化する「文学史」が必要ではないか。知識はいくらでも調べられる時代にあって、「われ」を考える文学史、他人事ではなく自らも日本文学の基軸の上に身を置いているという意識を持つ文学史が望まれるだろう。
先週と今週は、僕の選んだ『新古今和歌集』10首撰を1班2首を担当として、その魅力をアピールする「短歌甲子園」方式の活動の発表をしている。冒頭に挙げた西行の歌を始めとするいわゆる「三夕の歌」も対象としており「秋の夕暮れ」という象徴的な美的感覚に対して、学生たちの「読み」の現在が知られた。『新古今』の配列で並べられたこの3首は、相互の連関や対象性によって個々の魅力がより自覚されるようである。定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」が『源氏物語』明石の光源氏の視線から詠まれた光景であり、「春の花・秋の紅葉」という色彩豊かな象徴を否定的に表現することから「残像的効果」が複層的に働く奥深い読みをすることができる。「夕暮れ」そのものが文学の「景」として大きな役割を演じて来たわけだが、個々の歌の読みを深めてこそ初めて「文学史」が根付くものであろう。
僕自身も冒頭の西行歌によって
和歌に魅了された高校生の頃
次週は「本歌取り」を歌論を読んで実作する課題。
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