あれから30年、そして151年から先を生きる
2019-10-23
「即位礼正殿の儀」新米教師であった「平成」のあの頃
新たに30年を生きるということ
「短歌に向き合うということは、1300年の歴史の上に身を置くことになる。」所属する「心の花」主宰の佐佐木幸綱が評論の中で述べ、折あるごとに語る名言である。なぜに人は「五七五七七」の形式に自らの心を言葉にして流し込み、誰かに伝え告げ訴えようとするのだろう。もちろん他に詩歌の「形式」は多々あるが、「短歌」を基軸にすれば他のすべてに説明がつく。丸谷才一『日本文学史早わかり』(講談社文芸文庫等)の基本態度として示されるように、日本文学特に古典では明らかに「和歌が基軸」なのである。こう考えると明治からの151年間という時間に、「近代化」という様々な変化と歪みが加えられて、短歌に限らず様々なものが更新すべきあるべき形を求めて来たわけである。
「即位礼正殿の儀」がTVで報道され、幾度となく「平安絵巻さながら」という言葉を耳にした。その様子を電波で容易に観られる我々、歴史研究者が番組に登場し有職故実について解説を語っている。「さながら」がどれほど「さながら」であり、「伝統」とは果たして何か?考えるにやはり我々が生きる現在、そして「明治・大正・昭和・平成」という「近現代」の枠組みを考えざるを得ない。折しも研究者仲間から平安朝を中心にした歌合注釈書新刊が、ありがたくも手元に届いた。僕自身の論文が引用され「解説」が書かれていたことに深い感慨を覚えた。大きく言うならば、この30年間を生きて来た一端が報われた思いである。こうして引用されると、また先の30年で自らも何を著述していこうかという大きな意欲が湧いた。あらためて「短歌の近現代」を考えること、いかに古典和歌と連接させてこのテーマに向き合うか。同時に自らも歌を詠み、1300年の歴史に少しでも奥深く加わりたいのである。
伝統を引き継ぐとは?
新たに自らを耕していくこと
人生がここまでまず三元号に渡る身として、また新しい旅が始まる。
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