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ただノーサイドであること

2019-10-21
「ノーサイド」:《敵・味方の区別がない意》
「1、ラグビーで、試合終了のこと。
 2、(比喩的に)戦いや争いが終わったのち、互いの健闘をたたえ合うこと。また、和解すること。」(『デジタル大辞泉』より)

ただノーサイドなのである。「試合」という出逢いで組み合った相手に深い敬意を払い、相互の力を認め合い、自らの置かれている状況を冷静に捕捉する。試合終了間際からの日本代表選手の眼差しに、このような「紳士」たるラグビーの思想が読めた。TV観戦をしていて、小賢しく小憎たらしいばかりのプレーをする南アフリカ代表・背番号「9番」の選手の素晴らしい管制塔的働きや体力と知力の均衡に根ざしたプレーの敏捷さ剛柔さに、僕自身も深い敬意を抱いた。そしてまた必要以上に個別なスターが存在するわけでもない南アフリカチームの防御の強さを讃えた。Webの一部で「日本代表は散った。」と表現されたが、ただ「ノーサイド」に立っただけなのだ。

「桜ジャージ」ゆえ「見事散りましょ」が美徳なわけではない。ただ自らの力を過信せずまたどんな相手にも臆さない均衡ある立ち位置、勝利至上主義、競争的原理、ましてや「国」という「仮の枠組」がいかに貧困なる精神の産物であるかが知られる。あるTV番組で台風のために試合ができなくなったカナダ代表選手が、東北のある土地でボランティアに取り組む姿が報じられた。冷蔵庫など重い家財を運び、溜まった汚泥の除去作業に熱心に取り組む彼らの姿こそ「スポーツマン」なのだと再認識した。他の競技の選手が、ここまで「身体を張って」無償の人類愛たるボランティア活動をするだろうか?今回のW杯ラグビー日本大会は、日本社会にそして世界に大きなメッセージを発信している。本当の強さとは、ただ「ノーサイド」と本気で思える勇気なのである。

メダルの数が大事なのでしょうか?
勝つために何でもありの世の中に、生きる誇りを見せてくれる
本当の幸福や成熟が「ノーサイド」にあることを、社会を動かす輩こそが知るべきなのだが。


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