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「矢継ぎ早」の効用

2019-10-10
小欄は珍しく休んだのだが
文書作りから予定の連続
一つを終えればまた次へと

「矢継ぎ早」といえば「矢つぎの早いこと。矢を続けて射る技(わざ)の早いこと。またそのさま。」(『日本国語大辞典第二版』)と辞書の第一項目にある。『平家物語』を始めとする中世軍記物語の用例が並んでいるのも納得できる。第二項目には「物事を続けざまに手ばやくすること。たたみかけてすること。またそのさま。」とあり近世の俳諧以降の用例が並ぶ。近現代になり「矢」が一般的でなくなるにつれて、比喩的な使用が多くなった必然が読み取れる。「矢を続けて射る技」がどの程度の難度でどの程度の時間を要する動作なのかは、なかなか体験的に想像できないが、弓の湾曲や弦の張り具合などから名手となれば小気味好くこなした動作なのであろう。何より小さな緩急というか、身体的リズムが肝要であるように想像できる。

慣用的な言葉について記したが、この日の仕事はまさに「矢継ぎ早」に続いた。もはやリズムよく途切れない方が集中力が続くかのような波に乗ったような感覚で仕事を次々にこなせた。長距離走などの場合(あまり好んでしないが)、リズムができたら止まらない方が楽なこともある。野球の投手も自チームの守備と連鎖反応が生じ、リズムができテンポのよい投球となるものだ。ワールドカップでのラグビーを観ていても、まさに「矢継ぎ早」のようなパス回しを見ていると、日本代表云々という問題ではなく大変に爽快な技を見たような気になる。となれば仕事は次々と、リズムに乗ってこなした方がよいようだ。この身体的なリズム感覚、実際に「矢を継ぐ」際には、いかなる「声」が伴っていたかのかなども気になった。

最後にはジムでトレーニング
下半身を中心にしたパーソナルトレーニングを新たに
身体のリズムを刻むことこそが生きることかもしれない。


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