ひとすぢの糸に吊られた蜘蛛
2019-10-08
毎朝の階段を昇る壁の隅にひとすぢの目に見えぬ糸に吊るされて
廊下を無意識に歩く身勝手な人間に揺らされながら
毎朝、大学に出勤するとエレベーターを原則使用しないと決めているので、同じルートである階段を研究室のある4階まで昇る。その階段となる1階廊下の角に、牛蒡の天ぷらかのような細い線状のものがクシャとした塊になって貼り付いているのを見つけた。10月になるかならないかの頃、気になって立ち止まってよくよく眺めてみると、それなりの大きさの蜘蛛が脚を内側に絞るようにしてたったひとすぢの糸に吊るされてその場にいることがわかった。時に無意識にその角を通り過ぎようとしてしまったとき、僕の手提げが風圧を起こしその蜘蛛の糸が揺れてしまったのが見えた。そういえば先月の下旬頃か、その廊下の壁を掌に近い大きさで微妙な動きで移動する蜘蛛を見たのを思い出した。
後期の始まった10月1日より、この蜘蛛に大変な愛着を抱くようになった。その場所にいて生きるための餌は狩りできるのだろうか?ひとすぢの糸のみに命を預け、身勝手な人間が廊下を闊歩すれば不安定極まりない揺れの中で、かの蜘蛛は何を思っているのだろう?生きる運命をひとすぢの糸のみに託すという不安定な生き様は、何もこの蜘蛛のみにあらず。そんな廊下の隅にある生命の存在など一つも気づかない人間の命もまた、同じような不安定要素の中でしかないのではないか、などと毎日のように思っていた。ひとすぢの糸が妙に気になって、芥川の短編小説『蜘蛛の糸』を再読してみた。極楽では「水晶のような水を透き通して」地獄の様子が見えるとあって、「翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。」と表現されている。芥川が居住していた街に生まれ育った僕は、小学生の頃からこの小説の顛末が大変気になっていた。この年齢になっての再読にも、きっと大きな意味があるのだろうと思っている。
昨日、蜘蛛の姿が見られなくなった
朝方には糸が切れて廊下面に落下しているのがわかった
ひとすぢの糸、あの蜘蛛が僕に語りかけたことを考え直している。
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