ひとすじの糸に揺れて
2019-10-06
出勤すると昇る階段の角に糸を垂れる巣も張らずあの場所で果たして餌は得られるのか
だが、人間誰しもひとすじの糸だけが頼りなのかも
冒頭三行のような状況の一匹の蜘蛛に、愛着を覚えている。当初は壁を這うその姿にグロテスクさを感じたが、いつもいつまでも一本の糸のみに依存して同じ場所にいることに健気さを感じ始めた。一時は脚のみが絡まり目立つ容態なので、ゴミか何かが壁に張り付いたのかと思ったが、僕の手提げバッグが微かな風圧を起こすと、その糸が左右に揺れて不安定となり、なんとかしてこらえて留まろうと足掻いている動きが確かめられた。以後、その階段の昇り口に行くと、今日はどうしているだろうと挨拶でもする気分になっている。
人間もまた「仕事」という「ひとすじの糸」に依存しながら、ある場所に居を構え、時になんらかの抵抗ある風圧に左右に揺れながら生きているのではないか。芥川龍之介の名作短編『蜘蛛の糸』では、地獄にいる悪党・カンダダにお釈迦様が救済のために降ろして来た糸の先には、極楽浄土があることになっている。お釈迦様がカンダダに救済の糸を差し伸べたのは、現世で一度だけ「蜘蛛を殺さなかった」という善行があったからだが、その糸を「自分だけの物」と他者が下から昇り来ることを排斥しようとした欲を抱いた瞬間に、糸は切れて極楽浄土への道は閉ざされる。「生命線」たる糸は、自我欲望の黒き重量にこそ耐えらないのである。
あの蜘蛛さんは、僕の仕事への啓示
休日出勤で歌会に行けないのもまた「糸」が重んじるゆえ
いま『蜘蛛の糸』をあらためて再読すべきかもしれない。
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