自然としての人間であるために
2019-10-03
「自然と人間」「宇宙と生命」「生と死」「『万葉集』の時代からの大きなテーマ」
(伊藤一彦 新刊『歌が照らす』本阿弥書店 2019年9月)
伊藤一彦先生の先月のお誕生日に新刊となった評論集『歌が照らす』は、2011年以降の先生の評論を集成したもので、あらためてこの8年間がどんな時代かを再考する契機となるとともに、普遍的なテーマこそが短歌の真髄であることを教えてくれる。冒頭に一部引用したのは、「『万葉集』以来のテーマ」の章であるが、古典和歌とは大きく変質した現代短歌においても、普遍的な三大テーマが「やまとうた」の歴史に身を置くことになることへの再考を迫る力のある評論である。それはまた明治18年生まれの若山牧水にも通底するテーマであり、近現代短歌史の中で我々が求めるべき道を照らしてもくれる。短歌に向き合うということは、まさに「生と死」に目を逸らさないことであり、自然の一部としての人間の命の尊さを考えさせられる。
消費増税10%となり来年には、東京オリンピック・パラリンピックを控えている。メディアはこうした人事上の狂想曲ばかりを喧伝し、その陰にある人の苦悩や哀しみに潜む「生と死」の尊厳を覆い隠そうとしている。この傾向は昨今特に顕著であり、「国語」を取り巻く「文学」と「入試」に関する問題点の指摘もまた、中高生の学びが「人事」のみの事務的で無味乾燥に形骸化したものとなることへの危惧の顕れであろう。不自然で生きることへの手触り感のない世相において、僕たちはいかに「自然・宇宙・生」という普遍の中に身を置いているかを自覚すべきであろう。そのためにも「人間・生命・死」へ、温かい眼差しをもって存在することが求められるのではないか。近現代150年を省みて、「人事」の汚さえげつなさを再考すべき時なのかもしれない。
「ゆりの木のこずゑにきみのこゑ点りみゆるかたちを花とめでらる」
(伊藤先生の同書同章に引用の渡辺松男『きなげつの魚』より)
仕事でも生活でも、僕たちは常に「生命」に向き合っていることを忘れてはなるまい。
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