「わかってる」はわかっていない
2019-09-28
確認の意味で重ねた言葉「わかってる」とはいうのだが
それはわかっていない場合が多い
日常会話の濃淡・深浅について、あれこれ考えることがある。伝えるべき内容が、本当に相手に的確に伝わっているかどうか?当の本人は「やってるつもり」であるが、端から見ると危なげで確認の言葉を投げかけたくなるようなこともある。だがあまりにもその確認が日常の中で頻りに為されると、「わかってる」という反応になってしまう。さながら小・中学生が親の「・・・しなさい」という言葉に過剰に反発するかのような状況と同じである。子どもの場合、親の感覚と当人の感覚では大きなズレがあり、「わかってる」という反応は確実に相互に「わかっていない」のである。当人の立場や発達段階を踏まえて、自立する意識を喚起するかが重要であろう。
教員になって、さらには院生になって研究を志す頃から、日常会話で気をつけるようになったことがいくつかある。「あれ・これ・それ」などの指示語が多いと、相手との会話がズレて来てしまうことがある。会話にも「文脈」があって、何の話題であるかを十分に踏まえられているか否かを把握しながら喋る必要がある。「日常会話」なら自由な場合も多いが、研究上の議論では常識的なことである。元来が日本語日本文化の特性として、「言わずして察する」ことを美徳とする傾向が強い。「以心伝心」という語に象徴されるように、夫婦・家族であればなおさらこのくらいは「わかってくれよ」という感覚が一般的だ。僕などは「教師」という職業上、学生らに一度言ったことは覚えておいて欲しいという願望が強い。だが口頭表現なら特に、繰り返し繰り返し言わないと伝わらないことも多い。そこで苛立ってはいけない、憤りの口調を含む「わかってる」は「わかっていない」ことなんだと、丹念に優しく繰り返す必要があるのだ。
親との会話にこんなことを考えた
「思い込み」を排するのが何より「研究」である
的確に伝わっていなかったのは、まずは「私」の責任だと思うようにしよう。
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