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何になるか、どう生きたいか

2019-09-26
一度の人生いかに生きようか
様々な何になりたいは、どう生きるかを形にしたもの
簡単に定まるものではないが・・・

中学生の頃は野球部に入っていて、本気で将来はプロ野球選手になりたいと思っていた。「本気で」をいかに実現するか?そんなことを考え始めた。早朝に起きて上野不忍池まで往復10Kmをランニングしたり、腕立て・腹筋などの筋力強化や寝る前の素振り、風呂に入れば水中で手首を100回振るとか、膨張する軟式テニスボールを100回握るなどして手首を鍛えたりすることを日課とした。次第に身体的には鍛えられたが、もちろん野球が高度な技術になるには至らず、どこかで「プロ野球など夢のまた夢」であることを悟った。それで前述したような個人的「努力」が無駄になったのだろうか?いや僕はまったくそうは思わなかった。毎日丹念に実行すれば必ず体力はつき、継続が大きな力になることを実感できた。「プロ野球」は不可能だと悟ったが、何らかの分野で「プロ」になる礎となる自信を体得した気がしている。

大学学部を卒業して「教師」になった。どこかで文学研究をしたい、とは思いながら現場で中高生と向き合う充実した日々が始まった。勤務校の野球部は強豪で、就任3年目の夏に甲子園大会で優勝した。アルプススタンドの応援団の一員として、教え子たちが「プロ野球」への近づく過程をまざまざと実感した。深紅の大優勝旗にも触れることができ、勤務校の様々なことがスポーツ紙で報道された。そんな青春の延長のような20代を過ごし30代となり、再び自分は「どう生きたいか?」と疑問が噴出した。教え子が何人も「プロ」となるが、その過酷な勝負の世界の厳しさと表裏を目の当たりにした。果たして自分は「教師のプロ」なのだろうか?「本気」ではない自分を悟り、再び現職教員でありながら大学院進学を志した。そこから10年以上の時を費やし、学位も取得した。様々な困難があったが、中学生の日々で「本気」で着実に努力を重ねれば成果は形になることを身体が覚えていたのであろう。その後も現職中高教員という退路を絶って、大学非常勤も経験して専任になることができた。そして今もまた僕の「どう生きたいか」は、継続真っ盛りである。

学生の進路について考えた
過去には多くの高校生の進路について教師として関わった
時代はまさに「何になるか」ではない、混迷の将来を「どう生きるか」なのだ。


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