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「われのいのちか」独りここにいるさびしさ

2019-09-20
「独りゐつひとつほしては一つ酌ぐさびしき酒のわれのいのちか」(牧水)
みな独りここにゐることのさびしさ
それゆえに話し聞き人とつながる

昨日の小欄では、親友と酒を飲むことの楽しさを記したが、牧水が好んだのは独り静かに飲む酒であった。冒頭の一首を読めば、独りで盃をひとつ干してはまた一杯を手酌するさびしき酒を繰り返してこそ、自我のいのちを噛み締めることができるという心境が表現されている。人は日常生活において自らの「いのち」を、果たしてどれだけ自覚できているのであろうか。日々の仕事に埋没しても、ただ時間に任せて息をしていても、なかなか「いのち」に向き合えるものではないように思う。この空と海と山の狭間に生きいる小さな人間存在、生きるとは燃え続ける火のごとく灯し続ける自覚が必要でもある。

ゼミ生が附属校での教育実習で、研究授業をここ両日で行なった。参観すると授業そのものの技術や教材の扱いのみならず、ゼミ生そのものの人生においてこの機会があまりにも貴重であると痛感する。生まれて初めて「(公式に)先生」と呼ばれ、子どもらの人生の中でかけがえのない一教材の授業を実践する責務を負う。そうこう考えていると、授業を受けている個々の子どもたちの「いのち」の尊さに思いが至る。教室のひとつの椅子に座る「いのち」は、やはりまた「さびし」いはずである。授業の活動で音読して声を出したり、意見を言ったり、文字をノートに書き付けることで、他者と繋がりさびしさから逃れようとする。個々のこころにも様々な葛藤や負荷があって教室に座っているのだと思うと、「授業」もやはり「いのち」に向き合っているのだと思えてくる。

「さびし」そして「かなし」
牧水が歌にした境地とは何か?
「われのいのち」を自覚する時間を一日にせめて一度は持ちたい。


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