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第69回牧水祭・対談「牧水短歌の力動をよむ」

2019-09-18
「何はともあれ、飛んだり、跳ねたりする歌を作りたい。」
(牧水「歌話断片」新刊『エッセンシャル牧水』田畑書店)
牧水歌の新しいよみへ向けて

没後91年目の牧水祭は、見事なまでの秋晴れに恵まれた。日向市から東郷町坪谷へと車を走らせると、車窓から見える耳川の流れもまた美しい。今回は初めてという妻と母を同行し、到着後すぐに生家へと向かう。牧水が「ことん」と音を立てて産まれたという縁側に触れ、その場で坪谷川の瀬の音を聞いてみる。9時30分より歌碑祭が挙行され、僕も対談者として代表献酒に臨む。夫婦歌碑に刻まれた喜志子の歌「うてばひびくいのちのしらべしらべあひて世にありがたき二人なりしを」は、この日の対談でも触れたい一首である。牧水が延岡中学校に進むまでの十数年間、この生家でどんな音とともに幼い感性を磨いてきたか。山や川に直接触れて遊ぶ身体には、何が宿ったのか。自然と対峙するのではなく、自らの身体も自然そのものと捉える牧水の歌によめる人間哲学は、この坪谷の環境に起因しているところが大きいように思われる。

10時50分より伊藤一彦・若山牧水記念文学館館長との対談が始まる。公のプロフィールに加えて僕が宮崎出身の妻と結婚したこと、父母も宮崎の住民となったことも伊藤先生より紹介いただいた。牧水は「あくがれ」のこころで、常に住む土地を「ふるさと」として創って行った。そのこころもて、僕も宮崎を新たな「ふるさと」としたいと口火を切った。今回のテーマは「牧水短歌の力動をよむ」とした。牧水には「酒の毒しびれわたりしはらわたにあなここちよや沁む秋の風」など身体性を伴って人間の力や動きを感じる作が多い。「白鳥は」「けふもまた」「幾山河」などの名歌も五七調で声に出してよむと、その句ごとに止めるような滞空時間が生じ結句がさらに力強いひびきとなる。牧水が二番目の姉が漢籍などを諳んじているのを聞いて「哀愁を感じた」と記しているように、明治30年代から40年代にかけて「声の文化」から「文字の文化」への移行期があった。歌人でもこの時期から生まれが前後して録音が残っているものを聞くと、朗詠の質が大きく変化している。「聲」という旧字体には「耳」がついており、「聞く」行為とともに「声」は存在する。「行き行くと冬日の原にたちとまり耳をすませば日の光きこゆ」では「たち」と「とまり」は二語の動詞では、という伊藤先生の読みも加わり、立体的な次元で牧水の歌を再読できたと思う。「水はまったく自然の間を流れる血管である。」と記した牧水は、その名のごとく「水」の存在を「声(音)」によって知覚し、自らの歌作そのものをまさに生き様としたのである。

他の評価を気にしないで作歌・朗詠する牧水
父の体調の不具合で帰郷した際の歌に破調がよめる必然もあり
伊藤先生の新刊エッセイ集『歌が照らす』の序に「声を聴く 言葉を聴く」とあり。


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