遠く遥かに海を望む
2019-09-17
山と海わずかに見えるものに限りなく「あくがれ」
幼少時の生育環境がもたらすもの
本日9月17日は、近代短歌史に欠くべからざる歌人・若山牧水の91回目の命日となる。生家のある宮崎県日向市東郷町坪谷では牧水祭が開催され、「歌碑祭」「偲ぶ会」と牧水を偲ぶ行事が挙行される。「偲ぶ会」の対談において、今年は歌人・伊藤一彦先生と対談をすることになっており、ここのところあらためてその論点について資料を読み返していた。延岡での中学校生活に入るまでの十数年間、牧水は山間の渓谷の地である坪谷に生まれ育った。誰しもそうであるが、生育環境はその後の生き様に、大きな影響がないわけはない。牧水の場合は、山野や渓谷に遊び自然と同化し、友人と遊ぶことよりも独りでいることを好んだ。その際の唯一の友人が母と言えるほど、母のことを慕っていた。また小高い丘に登り遠望する「海」にいつもあくがれていた。素朴で飾らず他者の評価を気にせず心のままを詠う牧水の歌は、こんな環境に大きく影響を受けている。
僕自身も幼稚園頃から、独りで絵本などを読む方が遊びとしては好きであった。両親が仕事で忙しかったこともあるが、絵本や図鑑は豊富に与えてもらった記憶がある。その「アラビアンナイト」などの物語をワクワクしながら読んでいた。小学校も中学年ほどになると、住んでいる東京田端の地のことを「文士村」と称する本を見つけた。冒頭の折り込み町内図には、過去にこの街に住んでいた「文人・芸術家」らの旧居跡の場所が赤字で記されていた。僕の実家のすぐ近く、しかも僕自身が産まれた産院の近くに「太田水穂」という名があった。「芥川龍之介・萩原朔太郎・菊池寛」などに比べると知名度は低いかもしれないが、僕自身はこの名前が妙に気になった。調べるとどうやら歌人らしいが、手頃に読める歌集がなかったせいか、大学生になるまでは水穂の短歌を読む機会はなかった。そう、この太田水穂こそは牧水が尊敬していた歌人で、その縁あって水穂と同郷の妻・喜志子と出逢っている。僕の生育環境の秘密が、今日は公に意味を持つ一日となる。
幼少の時に遠くを見つめるこころ
海を望んだ牧水、東京タワーを望んでいた僕
宮崎に僕が生きている意味が今日解き明かされる。
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