此処にいるのは僕ひとりではない
2019-09-02
親の大切さここにそして自らの存在を確かめるとき
過去と未来を繋ぐこの命の大切さ
隙間なくビルの乱立する東京、所々に超高層も稀ではなくその過密ぶりは特異な一極集中の具象化した風景である。吸いたい空気はなく、食材は豊富のように見えるが決して新鮮ではなく、人間関係は肥大化の中での超個別化という矛盾の中にある。この東京で生まれ育った僕が、「田舎」と認識できるのは、従兄姉らの住む新潟である。幼少の頃から母方の伯母の家に夏休みとなれば10日間ぐらいは滞在していた。現在では東京から関越自動車道で4時間ほど、従兄姉らは新潟側から小1時間ほど、母の実家のある街からさらに山あいに入り込んだ温泉地まで行く。其処には宮大工だった祖父の建てた神社が、中越地震の震度にも耐え忍び今も急斜面の頂に毅然と建ち尽くしている。その所縁の地に今年も親戚家族が集った。実に楽しく現実を忘れる時間、温泉や山からの恵みのような水に潤う時間を過ごす。
「其処」にいるのは、僕ひとりじゃない。そして現実に集まった、親戚の面々だけではない。同級生のひょうきんな従姉妹は、天にいる伯父伯母の物真似に興じたりもする。撮影する写真ごとに表情を変えて、その遺伝子を具体的なかたちとして蘇らせる。母の弟である叔父の風貌には、早逝した祖父の面影が深いと云う。母の従姉妹やその子らには、僕の祖母や曽祖母の生きる力と温かい心が受け継がれている。そんな様々に系統的な血縁の要素をまた、従姉妹の娘のしぐさに見たりもする。酒どころ新潟の宴は美味しく、さらに宮崎から持参した焼酎をも加えて、新たなブレンドを創り出す。母の父母、つまり祖父母の墓詣りへも。墓碑には「すいっちょん」と呼ばれる秋の虫が文字の上に踏ん張っている。僕の大学受験時には東京に住み支えてくれた祖母の名は「スイ」、母は「お祖母ちゃんが来てくれた」とその虫に語りかけた。
帰路には関越道のない頃に両親と車で新潟へと向かった道へ
牧水も訪れた猿ヶ京・赤谷湖の景色を眺める
大きな力をもらいまた明日へと歩む
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