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あらためて歌会は主体的対話的

2019-08-22
「興味関心・自己のキャリア形成・見通しと振り返り」
「考えを比較し自己のみではできない気づき」
「学ぶものが思考・表現・判断する機会を設定する」

今年も、教員免許状更新講習の担当日となった。中高教員だった頃にはまだ免許状の有効期限になっておらず、そうこうしているうちに大学教員となった(担当者になったので自らの免許状は更新されていると見なされるらしい)ので、自らが受講した経験はない。だが文学・国語教育の研究者として単に最新の研究状況を「抽象的・概念的に説明し理屈を並べ立てる」ほど、意味のない講習を実施したくない。計6時間の講習内で「視覚的・感覚的に理屈を超えて体感的に感得」される講習を目指したい、と常に念頭に置いている。この日の題材は「短歌のこころ」として主に「教科専門」(教科内容)に関する講習であるが、その講習の授業方法自体が「体感的」であるべきだと思う。6時間を4つに分けた時間枠で、講義として僕が中心に喋るのは80分間のみ。残りは受講者に存分に短歌に対して「思考・表現」して「考えを比較」して自らの「興味関心」を高めてもらった。

受講者の事前アンケートには、「なかなか短歌に十分な授業時間が確保できない」とか「生徒の創った短歌に適切な助言や添削が施したいが歌ごころがない」といった趣旨の内容が目立った。だが特に「添削」という方法は、冒頭に記した今後の教育方法の目指す傾向に沿ったものではなく、学習者自身の生身の短歌を、指導者の思考に染めてしまう所業に他ならない。短歌は創作した者が自らで他者と考え方を比較して気づきを得てこそ、自らの歌として立つのだと思う。今回はいきなり受講者に創作を要求するのではなく、まず「牧水短歌甲子園」方式で歌人の歌を自らの歌に見立ててその批評をアピールしたり相手の歌に質問する活動を行なった。4〜5人グループの中での対話性が活かされ、受講者の批評は初めてとは思えないほど鋭い点も目立った。同じように個人戦として、やはり歌人の歌を僕が選歌しそれをもって「擬似歌会」をするという経験をしてもらった。この結果、短歌を「自由に批評する楽しさ」を多くの受講者が発見できたようである。

「教育の半分は『育』日当たりのよいベランダに鉢を並べる」
(俵万智『オレがマリオ』より)
あくまで「体感的な感得」それは短歌の強みである。


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