面と向き合い恋をしようよ
2019-08-13
恋と愛と今の若いもんは通信手段がこれほど便利でむしろ
子どもの頃から面と向かう機会が・・・
「人は涙見せずに大人になれない」著名なサザンオールスターズ「TSUNAMI」の一節である。今年度からの前期担当科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」で扱った1曲だが、やはり学生の反響は大きかった。だが、その境地はわかるが自らはなかなか深く重い恋愛体験には至っていない、かのようなコメントが比較的多かった。たとえ「恋愛」だと認識していたとしても、「重い」のは避けるといった心情が読み取れたものも目立った。世代的な感覚かもしれないが、僕などは恋愛に軽重などないように思っている。「愛の魔法で君を酔わせて、裸のままの自分を曝け出したいな」(サザン『バラ色の人生』)などと考えたい口だ。同曲には「みんなが集まる架空の広場(SNS)でこのバラ色の人生を分けてあげたいな」とあり、現代に生きる人間が「画面の中の恋愛(ロマンス)」だけに浸りリアルな恋愛に踏み込めないことへの問題提起をしている。まさに「現実離れの虚像(ゆめ)」に生きていると皮肉るのである。
僕の学生時代など、通信手段は電話のみで文を送ろうと思えば手紙。自ずと口頭対話力もつき文章力も恋愛によって鍛えられた。自宅に住む「彼女」に電話する際には、必ず親が出るゆえ何らかの口実を考えて巧みに話して本人に取り次いでもらうしかない。その不便さとか手紙の返事を待つというような”滞空時間”が、なかなかスリリングでよかったような気もする。どんな恋愛事情があるかなど詩歌や小説を読んで自らの想像力で知るもので、何でも他人の恣意的な解釈が蔓延る「ググる」行為とは違うような気がする。最近は授業に関連した内容まですぐに「ググろう」とする学生には唖然とするが、むしろそれを逆手にとるべきではと考えたりもしている。近所の公共温泉で語り合う老年の方々がいるが、やはり孫などがゲームにばかり夢中な実情を憂えていた。世間では、3歳ぐらいからタブレットを渡されてその「虚像」との会話のみで生育してくる子どもたちも少なくない。恋愛体験の減少、そして生涯未婚率の上昇、この国や世界を震撼させる大問題ではないのか。歌謡曲の世界観や短歌に読める恋愛観で、少しは向き合った学生たちの人生を豊かにできたのなら、と大学の科目の意義と使命をあらためて考えるお盆休暇である。
短歌は相聞歌から
相手に伝わるように三十一文字で
130名近くの受講した学生たちの人生がバラ色たれ。
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