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遅れてもいい楽しく踊ってほしい

2019-08-12
子どもたちのダンスクラブ発表会
様々な年齢層の子どもたちの躍動
「演技」ではなく本能で踊る姿が眼に・・・

妻の姪っ子のバレエ・ダンス発表会があるというので、会場へと足を運んだ。当初はクラシックバレエが淡々と発表されるのかと思いきや、ミュージカル「夕鶴」とかダンスショーなどもあって、思っていた以上に楽しく公演に見入った。日常でしか会ったことのなかった姪っ子が「踊り」という表現を通して発する熱量には、ともに心が踊り出すような興奮さえ覚えた。身体の持つ「律動」というのは、原始的な時代から祭祀的舞踊があることからも、声や文字などよりも本能的で根源的な表現手段であると思う。また義兄姉らが成長とともに娘が舞踊する姿を見守ってきた眼差しに実に温かいものが感じられ、「成長」とはこういうことなのかと間接的ながら感慨に耽った。比較すべき題材ではないかもしれないが、先月に徳島で阿波踊りに参入した際のこの上ない心の解放に通ずるものを感じたのだった。

多様な年齢層の子どもたちが同じ舞台で踊ることの意義も大きいと思う。特に年少の幼い子どもらの動きには、個人的に注目してしまった。「横並び」で踊っている流れに微妙にワンテンポ遅れたり、他の仲間の動きを確かめようとしたり、客席の家族を探して手を振ろうとする姿には思わず微笑んでしまう。たぶん本人たちは「舞踊・演技」をするという意識ではなく、まったくの純粋無垢に身体を躍動させているであろうことへの尊厳とでも言ってよいような思いに僕は至った。そんな思いを抱かせたある子どもに注目し続けたが、例えば首を傾げる角度や目線がまさに「本気」なのである。むしろ成長して「上手くやろう」という意図が加わって欲しくないような動きをいつまでも見たい衝動に駆られた。文学を読み創るのは、ある意味で「社会に染まらないこと」であるとも云う。短歌でも文字を書くことも儘ならない幼児の作品に、ハッとさせるものがある。「大人」の「作為」はやがて「横並び」意識となり、果ては汚泥した「忖度」に至る。童心で躍動することの大きさに、また多くを学んだ時間であった。

発表機会が子どもたちを育てる
身体性をもっと教育に取り込みたい
「ワンパクでもいい逞しく育ってほしい」を思い出した。


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