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「急げばまだ間に合うだろう」歌を暗誦していると

2019-08-11
「急げばまだ間に合うだろう朝焼けの橋わたり来る金色のバス」
(佐佐木幸綱先生『心の花』8月号掲載作品より)
頭の中をいま逡巡している歌

短歌に出逢うと、自ずと頭から離れなくなる名歌がある。頭の中で暗唱が繰り返され、時に声に出してみたくなり、あらためて奥深い意味を読みたくなるような歌。この2週間ほどは、冒頭に記した佐佐木幸綱先生の歌が頭から離れようがない。『心の花』8月号の掲載作品だが、実は徳島での全国大会における全体歌会題詠「橋」に詠まれた歌でもあった。編集後記に幸綱先生が「本号が刊行されるのは全国大会以後である。」と書かれているのも心にくいばかりである。全国大会歌会ではもちろん作者は明かされていなかったゆえ、評者からは「金色」は幸綱先生の歌集「金色の獅子」のように「こんじき」と読むとよいと言った評もあり(しかも当の評者を知るとさらに面白い)詠草の最後の歌であったことも相まって印象に強く刻まれた。徳島からの帰り道に大阪までの高速バスの車窓から、鳴門大橋や明石海峡を越える橋を渡り、なお一層「(僕は乗るべき航空機に)間に合うだろう」と心の中で呟いたりして脳裏に刻まれた一首となった。

生活のあるタイミングで先の「定刻」を見据えて、「間に合う(から急ごう)」とするか「「もう間に合わない(から諦めよう)」という見切り判断の微妙な場面に遭遇することがある。先日は妻が出勤のために家を先に出たが、卓上に自ら作った弁当を置き忘れたことに僕がすぐ気づいた。無心に「間に合うだろう」と心の中で呟くか、その手提げ袋を掴むのが早かったか、そのまま家着にサンダルで眼鏡なしのスタイルで、僕は路上に飛び出した。一つ目の角で車のテールが見えたが左折してしまう、だが大きな通りに出るまでに一時停止の機会が2度はあると体感的に悟っていたのだろう。僕は必ず「間に合う」と確信して走り続けた。角を曲がって大きく手を振るが、前の道路の左右から車が来るか否かに集中したためだろう、また妻は気づかず車は右折した。しかし最後の路地は出勤の車が多く通るゆえに、なかなか一時停止から出られない。その路地に到達し道路を先回りで左側に横断し、助手席側から窓に触れることができて無事に妻に手提げ袋を渡すことができた。たぶん時間にして15秒か20秒の出来事だろう、無心に「急げばまだ間に合うだろう」を実践した経験であった。歌の評とはややかけ離れたが、初二句の心の呟きが生活で功を奏した。「朝焼けの橋わたり来る」という三・四句は「美しい希望」が「川」という境界を超えてやって来るように読めて力が湧いて来る。結句はまさに「こんじきのバス」と濁音が二つ入ることで強烈なインパクトを残し、これ以上ない価値の「時」に間に合う「バス」で、それに乗れば人生が好転しそうな「勇気」の象徴かと思う。今の僕にとって妻に「間に合う」経験は、まさに「金色のバス」の価値がある象徴的な出来事であったのかもしれない。

「橋」とはある意味で不思議な題詠であった
僕たちはともに「一生の橋」を渡り続ける
歌こそ生きるための糧になることをさらに実感した。


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