宮崎で生きる
2019-08-06
羽田空港から太平洋沿岸を海の色が変わる海岸線が見えたら
大好きな宮崎へ帰るとき
東京の喧騒の暑苦しさが、年を追うごとに増しているように感じるのは僕だけであろうか。コンクリートに塗り固められた街は、自然な呼吸をできておらず気温以上に淀んだ暑さが息苦しい。電車に乗ればまったくの他者と物理的に近づくにも関わらず、相互の心の距離は計り知れない。昭和歌謡曲はこの街を「東京砂漠」(内山田洋とクールファイブ)と唄ったが、それは想像上の比喩ではなく、現在は本当の「砂漠」になってしまったかのようだ。「便利で快適」だとされるものは、その砂漠に人工的に造られた蜃気楼のようなもの。根のない繁栄が心なき生活を許容するかのように、虚飾な建造物がさらに建て続けられている。明治維新150年を過ぎて、未だその肥満体への道が省みられない恐怖を覚えるのである。
もし東京に住み続けていたら、こんな繊細で安心できる最高な人生には気がつかなかったのだろう。宮崎空港へ帰り着くと、いつも心の底に響く声である。「東京で生まれ育ったのに、なぜですか?」という問い掛けも、もうほとんどされなくなったように思う。無条件の心の平穏が、生活のあらゆる場面にあって、焦らず驕らず素直に生きることができるのが宮崎である。東京で教員をしていた自分が、どれほど尖っていただろうかと思う。そんな過去の干からびかけた自分が、今の僕の生き方を見たらどのように思うのだろうか?息を胸にいっぱい吸い込んで、自然に吐き出すような心地よさ。自然と親和的になれる風土が生んだ、人々の和み深さ。この文章のような「説明」ではなく、「生きる」そのものを出逢えた「短歌」に託し身体の呼吸で詠い続けていきたいと思う。
自然と多くの穏やかな人々
そして人生最大の幸福=最愛の妻がいてくれること
僕は宮崎でこそ生きていくことができる。
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