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「物語」を読める歌

2019-07-30
「児童らを率いて春の橋をゆくト音記号のような先生」
(大谷ゆかりさん・「心の花」徳島全国大会互選評最高得票歌)
「先生」のイメージが鮮明に浮かぶ物語

俵万智さんがイチオシの歌とTweetにも記していたが、前述の大谷さんの歌が徳島大会の全体歌会で20票を獲得して1位になった。下句「ト音記号のような」という比喩から実に鮮明なイメージを描くことができ、「春の橋」と季節感を詠んだあたりがまたウキウキした「児童ら」の行列を思わせて微笑ましい。この「先生」、歌会では「少しお腹のポッコリした」などという読みも出たが、俵さんの読みでは「頭をおだんごにしてフワッとしたスカート」という像に読んでいてなるほどと思った。さらには「橋が五線譜で子どもたちの頭が音符のようにも」とあって、イメージの展開が各自の中で無限に拡がるようである。「ト音記号」という造形が具体的な像を結び、しかも誰もが知っている記号というところが歌の肝であろう。さらに読みを深めると「児童ら」は歌を歌っているようにも思えてきて、サザエさんの最後のテーマ曲画像の家族の隊列ならぬ、「児童ら」と「先生」のほのぼのとした関係も見えてくる。

「歌に物語が読める」今回の全体歌会でも何首かの歌に、そうした評が添えられた。「春の橋をゆく」という短い時間に焦点を当てながら、「児童ら」と「先生」との前後の物語が生き生きと想像される。担当の「国文学講義1」では『伊勢物語』を半期に渡り講読してきたが、やはり「昔男」の物語が、地の文とともに様々な想像を許容する。史実とはかけ離れたところで虚構性を帯び、それによって多様な解釈を読み手が各自で描くことができる。そんな高等学校までの古文学習ではなかなか叶わない答えのない文学的体験を、学生たちには存分に読んで欲しかった。最終回となった昨日は全体討論をしたが、やはり学生たちは自由な解釈と想像ができたという点に大きな魅力を感じていたことがわかった。講義で扱った歌から1首選を班ごとに話し合わせたが、意外や「筒井つの」や「白玉の」など素朴な歌を選ぶ班が目立った。業平は周知のように「心あまりて詞足らず」と『古今集』仮名序で評されているが、「物語」の人物であるからこそ歌の奥行きに「詞書」で踏み込めることを貫之は認めていたのである。現代短歌は「詞足らず」ではなかなか理解されないが、それゆえに前掲のような鮮明な比喩を場面に響かせることが肝要と言えるのではないだろうか。

前期講義も最終週
蝉時雨を聞きながら
暑い夏にまた新たな物語を詠みたいものだ。


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