題詠「橋」全体歌会ー「心の花」徳島全国大会
2019-07-29
大会を終えてバスに乗ると吉野川を橋で渡り、鳴門海峡さらには明石海峡を
やはり瀬戸内海には「橋」がつきものである
「心の花」徳島全国大会2日目。前夜の酒と興奮が冷めやらぬ9時より、全体歌会が開始される。総歌数150首・題詠は「橋」、2人1組の評者が15首ずつ小気味好く歌評を展開していく。評の視点は様々であるが、歌のよさを拾い出し表現の拙さを指摘する両面性を、1首50秒という制限時間の中でどれほど言い得るか、その読みそのものが歌人として大変に大切な力である。もちろん個々の歌への評は一定するわけではなく、2人1組の中で「同感」な場合と対立する場合もある。さらには全体評をする佐佐木幸綱先生や伊藤一彦先生の視点と評者のそれが交錯する場合もある。その多様性を拾い出し、各自が歌への評の各自の「読み」の着地点を見つけていく。自らが捉えた素材への眼差しは「平凡」なものなのか?描写や表現がまとめ過ぎであるか強引であるか?ことばは正確であるか魅力的か?具体的なイメージを十分に描けるか?などの多様な尺度を各歌に寄せて、答えのない着地点を探る機会がこれほど多くの評者で行われる機会として誠に意義深いのだと思う。
題詠「橋」については、田中徹尾さんが次の5種類の詠み方に分類整理していたのが注目された。【A: 固有名詞の橋】【B: 場面・背景としての橋(心理的背景を含む)】【C: つなぐ存在(時間など)】【D:橋の種類】【E: その他】ということである。題詠は詠む際にいかように歌に盛り込むかを考えることから始める、その際の朧げな創作段階を遡及して整理するような「仕事」として大変に参考になった。また素材や場面とした内容について、題詠「橋」が喩として偶然にも実に有効に働いた歌もあることが指摘された。詳細な指摘は小欄では及ばないが、この歌会前半の展開について僕が原稿依頼を頂いているゆえ、近く詳細な原稿にまとめることになる。会員のみなさまには、その拙稿の会誌掲載をお待ち願いたい。歌会後に得票の上位者発表と各地歌会の紹介。僕自身は4票を獲得できたが入賞は6票以上、1位20票の秀作などを何度もイメージしながら、バスで徳島の街を後にした。あらためて何本もの現実の橋を渡って。
来年は東京五輪のため大会は見送り
再来年にまた東京での開催となる
徳島歌会で実に丁寧に運営くださった方々、ありがとうございました。
- 関連記事
-
- 「逆白波」のひびくゆふべに (2020/01/16)
- 「とこしへの川」と「潜伏キリシタン」を偲び (2019/12/08)
- 「聴く」ことから始まる (2019/10/07)
- 自然としての人間であるために (2019/10/03)
- なぜうたうのか、なにをうたうのか (2019/09/12)
- 「急げばまだ間に合うだろう」歌を暗誦していると (2019/08/11)
- 「物語」を読める歌 (2019/07/30)
- 題詠「橋」全体歌会ー「心の花」徳島全国大会 (2019/07/29)
- 海と歌と踊りー「心の花」徳島全国大会 (2019/07/28)
- やってみてこそ「得るもののあり」 (2019/06/20)
- 始動「ひびきしらべ歌会」プレ回 (2019/06/15)
- 声と文字の関係再考 (2019/06/14)
- 「恋と永遠」ー「海幸彦山幸彦の代」を思ひつつ (2019/06/12)
- 急な陽光むしろ仇なりー植物の「痛恨時」 (2019/06/10)
- 「花を食らひき」花を愛でる日常 (2019/06/06)
スポンサーサイト
tag :