カタルシスに至る物語
2019-07-26
「カタルシス=劇的感動」「アリストテレスの「詩学」に用いられた語。悲劇の与える恐れや憐れみの情緒を観客が味わうことによって、日ごろ心に鬱積(うっせき)していたそれらの感情を放出させ、心を軽快にすること。浄化。」(『日本国語大辞典第二版』より)
人はなぜ劇を見たり物語を読んだりするのだろう?その大きな理解の一つが、前述した「カタルシス」にあるのは確かだろう。引用した同辞典には「精神分析」における第二項目も記してあって「抑圧されて無意識の底にとどまっているコンプレックスを外部に導き出し、その原因を明らかにすることによって、症状を消失させようとする精神療法の技術。浄化法。」ともある。演劇や映画、または小説や絵本の物語でもいい、我々はその悲劇の登場人物に感情移入することで、恐れや悲しみの情を心に浮かべる。あの背筋がゾクッと揺れるような感覚に至ったり、涙が自然に溢れ出ることで、日常生活においては耐えて吹け溜まっていた感情が表面に放出される。演劇や映画や読書を通じて、自らを抑圧することなくゾクッとしたり泣いたりすべきであろう。認知症の予防にも、こうした感情の浄化作用が大変に有効だと云う。
『国文学講義』(学部2年生配当)で『源氏物語』を講読しているが、この日が15回目前期最後の講義となった。まとめとして個々の学生に、「登場人物論」を語る活動をした。「光源氏」はあまりにも大き過ぎたのか語るものはおらず、「六条御息所」「紫の上」「女三の宮」「柏木」「花散里」「明石の上」「夕霧」「朧月夜」「桐壺帝」などが挙げられて、それぞれの学生の受け止め方がわかって大変に興味深かった。毎回の講義内の学生同士の対話を聞いていても、本来は断絶すべきではないが、男女がそれぞれの立場の意見を交わしていて面白い展開があった。どこかでこの平安朝の物語に感情移入し、自らの体験や考え方と引き比べて感情を浄化しているような様子が看て取れた。「カタルシス」に限らず「ストラッグル(葛藤)」「サスペンス(未解決・気がかり・宙吊り)」「クライマックス(葛藤・興奮・効用の飽和点)」などの「劇性」を考える術語でその心性を推し量ることができた。どの心的作用にも連れて行ってくれる『源氏』は、やはりあまりにも偉大な日本文学の精華であることも再確認する機会であった。
併せて和歌短歌の「劇性」も考えて
芝居を見ない読書をしない者に浄化作用は訪れず
虚構の文学の尊さにこそ真の実益があるのだが・・・。
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