暮らしそのものに短歌も書も
2019-07-23
机上に置かれた筆・硯箱久しぶりに書いた書作品
暮らしの中に短歌も書もあり
大学時代に所属していた「書道会」が創立70周年を迎えるということで、記念書道展が来月の上旬に東京で開催される。周年記念ということは次は10年後と考えると、何とか作品が出せないものかと昨年来から検討し申込を済ませていた。だが春先から大学校務と書くべき原稿に追われ、週末の出張なども重なりなかなか制作が難航していた。運営委員会が示す作品の〆切も過ぎ、請求のメールなどもいただき、大変に申し訳ないと思いつつ、ようやく作品を完成することができた。半切などの大きな作品は無理と判断し、色紙額による小品で自詠の短歌を書した。現在もこの小欄を記すPCの机上には、筆と硯箱があるがその光景がなかなかよい。父が嘗ての中国旅行で買ってきてくれた高級な硯で墨を擦る香りは、何とも言えない癒しが得られた。
今回の一念発起は、やはり若山牧水による影響も大きい。特に晩年になってから短歌雑誌出版の資金などの収入を稼ぐために、揮毫旅行などにもよく出て自らの短歌条幅や色紙の多く遺る牧水。その温かみのある文字に魅せられ、記念館製作の複製色紙を何枚か購入していた。その雰囲気を出して僕自身が詠んだ短歌を書けたらいいなと思い、今回の作品制作と相成った訳である。短歌を詠む場合もそうであるが、まずは自らの日常生活に落とし込むことが重要であると思う。特別なことではなく、暮らしそのものに短歌や書道が存在する生活が大切だ。日々の生活の中に「観察」がある、それがいかに言葉になるか「分析」し、その場面や状況に自らの心を当てて「理解」する。創ってもまた何度か沈着させ、客観的視点で見直す。推敲を繰り返し「韻律・イメージ・意味」の均衡を検討する。概ねこんな過程を、自然と生活の流れに載せている。どうやら書作品も同じような感覚ですべきと実感した。牧水の身体的な短歌の韻律は、当然ながら文字にも表れているはず。同時に新たな研究の端緒も発見できたようである。
書に表現された呼吸
どれほど鑑賞に耐えうる作品になったか
来月1日(木)〜4日(日)東京・北千住での展覧会が楽しみである。
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