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海を畏れ海を敬う

2019-07-17
「今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海」
(俵万智『サラダ記念日』より)
実像も幻影もみな海に抱きしめられて

生命の源は海、とよく云われる。なぜか海を見ると心が洗われて、人間世界の中での些細な出来事がなんでもないかのような雄大な気持ちになる。だがその一方で、海は人間ではいかにしても対応できないほど容赦ない力で襲いかかって来ることもある。寄せては返す波の動きは、人間の感情そのものの揺れのような気もする。近現代の人間社会は自然たる海に抗い、それまでにない人為的で偽装的な動きを大量に排出して来てしまった。この過誤が、もしかしたら海を怒らせてしまっているのかもしれない。例えば先日の「海の日」に、海への畏敬の気持ちを持つことができただろうか?暦上の虚飾のために、「海」が利用されているような思いさえ湧いて来る。博多祇園山笠などの祭りが、常に7月15日で幕を下ろすのとは格段の差があるように思うのだ。海の幸への感謝を失った人間の愚かさは、様々な反動となって人自らに苦難となって返って来るのだろう。だが、冒頭に記した俵万智さんの歌のように、人間関係上の葛藤をすべて洗い流してくれるような計り知れぬ逞しさを見せてくれることもある。「結句」の「海」に焦点化していく実にわかりやすい言葉により、深い普遍性を湛えた名歌であると言ってよいだろう。

担当講義「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」も、残すところあと3回となった。この日は「恋と幻影」というテーマで、サザンの名曲「TSUNAMI」について短歌と対比しながら様々な「問い」を考えた。「TSUNAMI」は3.11以来、サザンが公のライブ等で演奏したことのない、いわば封印されている曲である。この日も講義の素材として活用すべきか否か迷ったが、敢えてこの普遍的な名曲で自らの人間存在について多くの学生に考えてもらいたかった。「人は誰も愛求めて、闇に彷徨う運命」「泣き出しそうな空眺めて、波に漂うカモメ」などのフレーズが、人が向き合う「恋と愛」の狭間にある葛藤を抉り出すかのように訴える。「運命(さだめ)」「カモメ」の脚韻の響きも見事。これはまさに若山牧水の国民的名歌「白鳥は哀しからずや・・・」に応じたような内容で、「恋の彷徨」の中で空や海にただよふ「白鳥」の姿に己を見る普遍性を考えさせられる。「悲しみに耐えるのは何故?」「好きなのに泣いたのは何故?」と「TSUNAMI」の歌詞は一つの正解など求めず「追究の問い」を放つことで、海の存在そのもののように普遍的で偉大な曲に仕上がっている。20世紀最後の「日本レコード大賞受賞曲」として、当時この世に産まれた学生たちに伝えるべきものが多く含まれる。あらためて「海」を崇めないと、という思いを新たにするのだ。

自ずと「ように」「ような」が多くなった本日の文章
比喩の精度こそが短歌の生命力でもある
「恋」とは「生きる」=「命」に連なる所業なのである。


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